若い頃の父が撮ったアルバムの写真をスキャナで取り込んだものだ。
我ながらとてもかわいい。
私にもこんな愛らしい時代があったのだ。
時々こっそりスマホでその写真をながめては、この子のためにがんばろうと思う。
この子は私自身であり、この子の未来は私のがんばり次第で変わるのだから。
もし結婚して私に子がいたら同世代の同僚たちのように我が子の写真を職場のデスクに飾ってがんばっていたかもしれない。
うっかり結婚してしまわなくてよかったとさえ思うほど結婚向きの性格ではないのだけれど、
そんな私でも自分自身のためにしか生きるしかない人生に虚しくなってセルフネグレト気味になることがたまにある。
いまの私に愛すべき価値がなくとも、生きる意味を見いだせなくても、過去の私はたしかに愛すべき存在だった。
なぜこんなことを書こうと思ったかといえば、
Twitterで赤の他人の家族写真をスマホに入れて仮想の家族のために就活をがんばってる子の話がバズっていたから。
それでがんばれるならなんでもいいと私は思う。