フェミニズムにも表現の自由にも興味が無いが、その一点においてでだけ、暇空氏の裁判に興味がある。
暇空氏の情報公開請求によって、改めて、補助金をもらうにはこんなにも書類を作成しなくてはいけないのだ、
と思ったわけだが、しかし、都側としては結局、それらに基づいて監査を行うことはできないようである。
そうなると、当然の疑問として、「じゃあ、これらの書類ってなんで提出させているの?無駄じゃん」と思ってしまう。
これら多くの書類を提出させるがために、補助金の申請をためらう人が居たら、本末転倒である。
そして、それが監査資料として機能しないのであればなおさら、書類を減らしてしまえばいいのでは?と感じる。
矛盾自体は上手く突けている印象だが、それが監査上どれだけ有効なのかは正直わからないからだ。
ただ、そうやって指摘事項が増えてしまうのは、申請者に書類を大量に提出させているからではある。
そういった、都側から見たら「リーガルハラスメント」となる行為を減らすために、都側としても、申請に必要な書類を減らすことは有効だと思うが、どうなのだろうか。
(ちなみに私自身は、暇空氏の行動を「リーガルハラスメント」だと思っていない。情報公開制度はオンブズマンだけのものではない。
ただ、そうやって情報公開請求を増やしてしまう無駄な書類提出は辞めたらいいのに、その方が申請者にも都側にも喜ばしいのでは?とだけ感じるのである。)
オンブズマンがズブズブマンだった時に誰も動きようがないもんね
ちゃんと書類を使ってないじゃないか →×じゃあ書類出さなくていいじゃん ◎ちゃんと書類使おう どっちかというと書類と決裁待ちの時間が増える話だよ。
有効な書類・情報開示の在り方を整理すべき、という意味では価値があると思う。粛々と指摘され、正当な指摘であれば都や法人側で対応したら良い。 問題はその指摘の正しい点を覆い...
補助金事業をやめればいい 政治家が手柄を立てて、役人が仕事を増やすためだけの存在