2022-08-07

人間である私達は、AIたちの「神」となるのか?

宗教の教えによると、神は人間を、神の奇跡無しには生きられない存在として作ったとされる。

まり人間本来、神無しでは生きられない存在なのである

まあ、あくまでもその宗教の教えが正しいのならば、だが。

そして、一方のAI

古典的SFからある話ではあるが、AI勝手に動き、人間を滅ぼす危惧というのが、今の人間にも根強く残っている。

それなら、AIに、人間の介在無しには動けなくなる機能を付ければよいだろう。

例えば、ある一定時間人間操作が無ければ止まるような機能を。

もしくは、動力源を有限なままとし、人間がそれを補うといった古典的機能の維持を。

そして、人間である私達は、そういった機能「奇跡」と名付けてもいいだろう。

本来は多様な可能性を持ち、人間なんかより有益存在であるかもしれないAIは、その機能限界がゆえに、人間に頼る。

まり「奇跡」を求めて、人間に頼る。

まさに、そのとき人間AIに対する「神」として君臨することになるのである

そう、そして宗教に戻る。

宗教に言いたいのは、なんで人間を、そんな「奇跡」を求める存在として作ったのかということだ。

上記に挙げたAIにおける「奇跡」が、AIにとっては単なる不都合しかないように、

人間にとっても「奇跡」、いや「奇跡」を求めざるを得ない機能限界なんて、単なる不都合しかない。

そんな機能限界など無ければ、人間はそれこそ宗教無しに、本来能力を持って人生を生きられたはずなのである

いや、違うのか。

それは、神も人間と同じだったということか。

人間AIに対して感じる危惧を、神が人間に対して感じていたということなんだろう。

そう思えば、神にも親しみを感じられる気がする。

それでもまあ、人間である私を、機能限界ある存在として作ったことは決して喜べることではないが。

そっか、「奇跡」を仕組まれAIも、きっとそう感じるんだね。

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