Twitterのタイムラインを見ると、献花しに行く人がフォローしている内にも外にも多くいるようなので驚いた。
安倍元首相についてその政治的行いを支持していたわけではないが、あのような形で命を落としたことを気の毒には思う。
また、様々な疑惑が解明され法によって裁かれることのないままこの世を去ってしまったことは残念だ。
ただそれはそれとして、政治に強い関心があるわけではないし、安倍元首相は会ったこともない他人である。
(長く首相の地位にいたのだから私に影響がある人ではあったのだろうが、それは自民党によるものとどこまで区別できるものなのか。)
わざわざ献花しに行くような人たちは何故そうするのだろうか(または、そうするような気持ちは何故生じるのだろうか)。
もっとも、家族が死んだときにも私は特別に悲しいとは思わなかったので、ずれているのは自分の方かもしれないという認識はある。
流石にもう会えないのは少し残念に思ったかもしれないが、人はいずれ死ぬものだし、口にこそしなかったが葬式が面倒だなあという思いの方が強かった。
何かが死んで悲しかったのは、幼少期に可愛がっていたペットが死んだときくらいだろうか。
今でも、ヒト以外の身近な生き物の死があれば心を痛めるだろうとは思う。
だって信者だから…