vtuber文化の興隆はルッキズムからの解放ではなく、むしろルッキズムに技術が追いついたと言えるのではないか。
「容姿が"悪く"ても人気者になれる」でもなく、
それは「容姿が"良く"ないと人気者にはなれない」という言い換えに帰着する。
世界的に多様性を尊重しようとする大きな流れとポリコレ疲れ(と呼んで誰かを傷付けないための努力を揶揄するのは嫌いだけど、あえてこの言葉を使います)による反・反差別のようなぶり返しもある中、vtuberが世界的に人気なのって強烈なルッキズムを隠蔽しつつ「中身もわからないバーチャルな存在を受容している俺ってとってもコレクトでしょ」ってアピールができるからなのかなって。
本来バーチャル受肉は「なりたい/あるべき自分の姿になるため」の技術だと思うし、自分の容姿やコンプレックスから解放される体験は何事にも変えられない価値がある。
そういやバ美肉おじさんとか何とか言って話題になってた男が中の人の美少女Vtuberって今全然話を聞かないな 女がやってる美少女Vtuberと男がやってるイケメンVtuberなら聞くが…
普通になってしまって今更どうでも良くなっただけ 兎鞠まりとか最近20万人達成してて未だに人気がある
ルッキズム批判と、「受肉」というワードとか使うやつが、批判とかマッチポンプ感すごいよな。ついていけない。(^ν^)
「むしろルッキズムに技術が追いついた」 せやで。知能ある人間は整ったものを本能的に好む。ノイズキャンセラーイヤホンみたいなもんだよ。標準装備。