サッカーの吉田何とかが何かお気持ち喋ってたけど、笑ってしまった。
「選手の気持ちがー」とか言ってたけど、身の程知らずもいいところだと思う。
現代スポーツなんて、かつてのコロッセオの延長だ。人が死なないようにルールがあるだけで、筋肉バカを競わせて鑑賞するのを楽しんでる。構造は同じだ。
要するに金が回るからスポーツ興行は成立する。コロナ禍では、金回りと一般市民の健康のバランスをどうするかが論点だ。他に論点はない。
「スポーツで感動がー」なんて言ってるが、あんなもの体良く金を回すための宣伝文句だ。仮に「物珍しい筋肉バカをみて楽しみましょう!」と言ってしまえば、良心の呵責で純粋に楽しめない。子供は特にそうだろう。だから、スポーツには純粋なイメージが大切だ。メディアを使って、「汗!涙!感動!」とかやってる。金のためには大切だ。
以上は、いい大人なら弁えてる暗黙の常識だと思っていた。スポーツ選手も立場を理解してるものだと思っていた。ところが、「選手の気持ちがー」「感動がー」と来た。メディアの作ったフィクションを選手自身が信じ込んでるわけだ。そりゃコロナ禍でのアスリートの扱いには失望しているだろう。世の中は金と一般市民の健康で意思決定をしていく。金と健康に比べれば、アスリートの気持ちなんぞ、動物の気持ち程度の影響度だ。全く本質じゃない。わかってほしい。