自然を天然の状態で保つことを善とは思わないし、自然を人工物で加工するのも悪とは思わない。
環境問題も提起するきっかけは人間にとって害となる事態が発生したからであり、そうでなければ環境を改変することはどんどんするであろう。日本でも江戸時代には灌漑や干拓が各地で大規模に行われたがこれも環境を改変する営みだ。
それに、人間が自然を破壊するのが悪だとして自然が人間を殺しにいくのは悪とはならないのかという疑問も沸く。日本は台風や地震、津波、水害などの災害があるがそうした害から身を守る営みが悪かと言われたらそうではないであろう。ダム開発をせずに人命が奪われることが善とはいえない。
確かに不適切な開発は自然からしっぺ返しを食らうであろうが、それが即ち人間の悪になるかというとそうは思えない。人間と自然は利害が対立するところで殴り合いをするだけであり、どちらが悪いということは原初的にないはずである。
環境問題とは人間と自然のあいだの永久的な利権争いであり、そこに善悪は無いのだ。環境問題について裁ける資格のある神はいないのだ。私たち人間は人間の立場でしか環境問題を語れないのだ。