文化的にもシステム的にも変更に手間が無い、そもそも全く大した問題ではないのは確か。
はっきりいってどっちでもいい。
女性が仕事で必要な場合があるっていう話もあるけど、現行でも名刺だけ旧制のままやってる人とかいるしな……。別姓にしたとしても、銀行や役所に書類出すのめんどくさい手間が無くなる程度がメリットだと思う。あれば嬉しいかもしれんが、やっぱりどっちでもいい。
どっちでもいいんだけど、爺さん婆さんの中にはやっぱり「家を守る」みたいなこと言われて育って実際に自分もそうしてきた人たちがいて、そういう人たちの心情を変えるのは手間……というか不可能だ。
少数の爺さん婆さんの老い先短い心情を慮るか、書類の手続きがめんどくさい女性の手間を慮るか、の2択になる。どっちかは切り捨てることになる。
でも、結局はお気持ち以外どっちでもいいんだから、俺は爺さん婆さんの心情を当面慮ればいいと思うけどな……。
だってそのうち死ぬから。べつに急いでやらなくても死んでからでいいと思う。
最近読んだんだけど、フェミでもBLMでも、近頃のネットで話題になっている社会問題のあれこれは、ほとんどが「変化が自分が死んだ後完了するぐらいゆっくりだけどいいか」にかかっている。世代が代わるごとに差別が無くなっているのも平等に近づいているのも自明だ。
それを待つことができない人たちが、または近視眼過ぎて遠い未来の変化が予想できない人たちが騒いでいるって感じがする。
夫婦別姓に熱心な人たち、今それができないことを、永遠に夫婦別姓が成立しないことと同一視してると思うんだよな。
ジジババが死んだ後ではだめなのか、ということをそもそも考えてないと思う。
まず簡単に歴史を調べてみた。 名字の歴史 1870年の平民名字許可令によって、誰でも名字を使って良くなった。これまでは平民は名字を使ってはだめだった。 1871年の戸籍法によって...
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