秋葉原に行くと、ヨドバシカメラの斜向かいに路上生活者の人たちが住む一角がある。
そこが怖いな、と正直思う。
でも、ビッグイシューを売っている路上生活者のひとは怖くない。見かければほぼビッグイシューの最新号を買う。みなさん身綺麗にしているし、嫌な思いをしたことは一度もない。
この差はどこから来るのだろう?と考えたとき、話が出来そうなのか否かなのだろうかと思った。
話というか、テンプレ会話が通じそうか否か、みたいな。
ビッグイシューを売っている路上生活者の人は、「買います」→「450円になります」→お金を払う→「ありがとうございました」のテンプレ会話が通じる。何も怖い要素がない。
でも、そうじゃない路上生活者の人は話のきっかけも分からんし近くを通りがかっただけでも何かで突然怒り出してこっちに絡んで来ないかなんて心配までする。
多分知らないから、分からないから、勝手に相手に悪い妄想を巡らせてしまうのだろう。だから話が出来ない。これは完全に私の内側の問題だ。
路上生活者という属性以外でも、知らないから分からないから怖い他人のカテゴリーはある。
これからは多様性の時代だ移民政策だと言う人はいるけれど、私としてはこれ以上知らない分からない怖い他人のカテゴリーが増えて欲しくないから、止めて欲しいなと思う。
分かろうとすればいいだけという声も聞こえてきそうだけど、他人を理解するのに割くコストってかなり高いよ。それこそ移民だらけのアメリカみたいに定期的にホームパーティーしなきゃなんないみたいな世界、私は辛いよ。
路上生活者が犯した事件ってあんま聞かんけど。 老人の車の方が怖い。
ビッグイシューを売っている路上生活者のひとは怖くない。見かければほぼビッグイシューの最新号を買う あらますてき増田、やさし。。
こういう差別主義者が居るからホームレスに陥ると抜け出せないんだろうな