客観的に見て俺は保身的だし優しくないし面白くないし表現力もないに情熱もないし頭も悪いしでダメダメなんだけど、主観的にはそんな自分がけっこう好きだったりする。
増田文学100選なんかを読むと、語るべきエピソードも読ませる表現力もない自分がどうしようもなく惨めに思えて胸のあたりが痛くなったりするんだけど、一方でそんな自分が結構魅力的に思えもする。
何もない人生を送ってきたのは他でもない俺自身の選択の結果で、この何もなさこそが俺のアイデンティティーなわけだ。他の奴らがついつい自分を磨いたり何かを探したりしてる間に、俺は何も考えずにただ流されて消費社会で惰眠を貪ってきたわけだ。どこにも行ってない・誰にもあってない・何も読んでない・何も書いてない・何もしてない・何も得てない・何も生んでない。
でもそうやって本当に何もしてないことに誇りすら覚えちゃったりするんだよなあ。ダメ人間を自称する人間が意外と優秀だったり心揺さぶる作品を生み出したりしてるのを見たとき、劣等感と同時に優越感も覚える。「ああ、お前はダメでいることに耐えられなかったんだな」「いいものを生み出してしまったねえ」と。
クズで才能のない人間が開き直っているだけといえばそれまでだけど、俺が俺をクズであるがゆえに愛していることに嘘は一切ないんだよな。今後も花を咲かせるどころか芽吹きすらせずに腐っていくんだろうけど、その腐っていく俺を目撃するのがこの俺だけであるという事実はなんとなく甘美だ。世間に知られてやるものかと思う。世界は俺という才能を全く気づかないうちに失えばいい!とちょっと矛盾した気持ちを抱いている。
分裂🤘(👁👄👁)(👁👄👁)🤘ウィー