何故か結婚式場のインスタに流れ着いてしまい、幸せそうな若い新郎新婦の姿を眺めていた
(老いさらばえた夫婦の結婚式というのも味はあるが、あのはちきれんばかりの眩さは矢張り若い夫婦ならではだな)
そしてつくづく
「真っ当な人生」
というものについて考えた。
きっと「真っ当な人生」というものは、節目節目があり、その都度「式」を催すものなのだ。
で。
自分の「式」は一体いくつあっただろう。これからいくつあるだろう。
成人式は出ていない。
未婚なので結婚式もない。
そしてたぶん葬式もない。
普段特に注目されない普通の人間が、人生の中でセレモニーを開催するというのは
真っ当な人間に許されたご褒美…なんだろうか。
面倒臭いの一言に尽きるけど、それを乗り越えてあの笑顔を見せているのだろう。
そしてしっかりと気持ちにも区切りを付けて、新たな人生を歩む。
それが出来るのが真っ当なんだろう。