2020-05-15

第九回総選挙

ずっとよくわかんねぇって思ってた感情が表に出てきてしまった。


自分の今感じている感情は本当に自分感情なのか」

というもの


例を挙げるとキリはないが例えば

「周りが泣いているから私も泣く」

特に深い感情があるわけじゃないのに深いふりをする」

という感じ。


誰かの熱に充てられて、とは言うけどそれって多分突き詰めれば本来感情じゃなくて何となく「そうしたらいいかも」という損得勘定が多分自分にあるからそうしてるのかな、とも思う。


ここまで書いて自分が飛んでもない嘘吐きだと感じると同時に

「この記事を書いていることも誰かへのアピールなんじゃない?本当にこんなことに本気で悩んでこんな記事書いているの?」とも感じる。


要するに自分の行動って全部誰かへの反応を待っていたり誰かの事を理由にして嘘ついてるだけなんじゃない?と思えてきてしまったのだ。


こんな感情になる自分が嫌いだが、こんな記事を書いて誰かからの反応をもらおうとしている自分死ぬほど気持ち悪い、気持ち悪いと言いながら書き続ける自分が嫌い、という感じでずっとループする。


この感情最近に始まったものじゃなくてなるべく無視しようとしていたんだけど流石に無視できなくてこの記事を書いてガス抜きになればいいかな、と思った。


今回の総選挙僕は「楽しむ」をテーマにやっていて途中まではなかなかできていた、と思ったが思うに誰かの「楽しさ」を阻害した「楽しさ」であり、主観的な「楽しさ」ではなくアピールとしての「楽しさ」では無かっただろうか、と感じたのだ。





「俺は楽しんでいる、すごい!」

「楽しんだもん勝ち!」





誰にアピールしているというのか、何が「勝ち」なのか、自分が嫌いで仕方ない、自分の楽しさも自分だけで感じられないのか、優越感に浸りたかっただけじゃないのか。


自分が楽しむためにTLを荒らしたり、企画私物化したり、不快にさせた人がいるのに気づけなかった自分は一体何者なんだろう。

ほら出た自分悲劇的に語る論法、こういう自分が本当に大嫌いだ。


このまま死んだように消えたいのだが見たい景色があるから頑張る、という感情は本当だったはずなのにそれさえも「あぁ、全部何かに対するアピールなんだったろうな」と思う。


傷ついている誰かに対する言葉気持ちも「いい人」って思われたいからなんだろうな、微塵も心の底から感じてないんだろうな。


もう死んじまえよ、まぁどうせ死ぬ勇気も死んじまえって言葉もどっかから影響された言葉なんだろうけど。

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