僕の勤め先は長年にわたり新規採用を絞っていたから、僕より年下の人はなかなか増えず、僕は常に若者だった。
責任がどうとか現状分析をもとに最適な動きをするとか考えるまでもなく、言われたことをするだけの日々が続いた。
もともと何に対しても消極的な性格もあって、上役のオッサンどもの「こんなときの対処法」を勉強することなど当然してこなかった。
時が経って、僕もオッサンと新人さんとの間に挟まれるくらいの年齢になり、まだ役職はつかないが勤務年数もそれなりになった。
年下の人がいる、という感覚が新鮮というか違和感でしかない。僕の直属ではないにしろ同じ部署に年下の人が来たから、なにやらお教えすることもあるんだが、違和感しかない。僕は教えてもらう側ではなかったか?
この違和感が優越感に変わったら老害なんだろうな、と気を付けながらも、面倒な事柄を年下の人へ押し付けたりし始めた自分がもう嫌でしかない。
ともあれ、年下の人は僕のことを先輩だと認識しているわけで、上に書いたとおりなにやら尋ねられたらお教えしたりはするのだが、それがオッサンどもの見解と違うことがあまりに多いことに気づいた。
それと、年下の人は僕に「判断」を求めていることにも気づいた。僕に何かを言わせようとしている。僕に「指示」を出させようとしている。そこで僕はそれっぽいことを言うのだが、年下の人はそれを気に入らない。なぜかって、オッサンどもが示した大枠と僕の指示が整合しないから。
そう、ずっと消極的で勉強せず日が暮れるのをボーっと待つようなことしかしてこなかったから、どうしていいかがわからない。判断ができない。指示をするにしてもその業務の難しさとか量の多さの判断がつかない。
「これはまずい」と思いながら他方で「僕のような一生ヒラの小者が今さら焦ってどうする。オッサンへ投げるか逃げるかすればいい」とまた消極的になったりしている。
また春が来て、僕はまた歳をとり、新人さんもまたやってくる。
さて、僕はこの先生きのこれるのか…