恋愛感情というものは私にはとても重く、そのあまりの重さにより、私にはいっそ軽薄に好意を振りまくことしか出来ませんでした。それは私自身の狂人じみた偏執的な気質を自分自身から覆い隠すためのカモフラージュであったわけですが、この軽薄さとその下にある狂気はどちらを取っても私が人に愛し愛されるだけの価値がないことを証明するに充分な材料でした。そしてそのことが、よりいっそう私の狂気に磨きをかけてしまいました。
私は今、愛している人に一生消えない傷をつけたくてたまりません。私はあの人とはずっと一緒に居られません。その資格もないし、無理に共に過ごせば私の狂気はいつかあの人をどうしようもなく壊してしまうでしょう。だからせめて、一生消えない傷を付けて去ってしまいたいのです。私の代わりに傷と共に生きてもらうことで、あの人の中で私は永遠になりたいのです。
きっと理解頂けない感情であると思います。私自身これが狂気の産物であることは理解しています。でもあの人のことを思うたび辛く苦しい私のこの想いは、あの人が私のことを強い感情で(それがどのような種類のものであれ)想いながら生きていくことを想像している時だけ癒やされるのです。
あの人が私のもとを去ったあと、私があの人のことを考えていない時間すらあの人が私のことを強く想ってくれると想像するだけで私の心は幸福に包まれます。ああ、なんと甘美なのでしょう。その想いが愛であればもっと良いのですが、それは私には手が届かないものです。だから代わりに憎しみでも感傷でも後悔でも構いません。どんな感情でもいいから想われたいのです。
煽りのセンス0だな、お前。
そろそろ「狂気」や「永遠」みたく浮ついたことに囚われるのはやめて有限性に目を向けたらどうだい?