飯島範士の早気の解説、バックデータとかは凄いけど、結局解決策は無いということだよね。
あと、熟練者がなる、中る人がなる、とか書いてるけど、そればかりではないのはうちの道場にいる初心の人の例もあるので、そうとも言えないのかなという感想。
付き離れする三段くらいの人を知ってるけど、その人は年寄りで根がせっかちな人なので、性格的なものが一番大きいのと、やはり中りによる強化学習の効果だなと個人的には分析している。
とはいえ、付き離れなんで半分も中らないから、中る人がなるというのも合っていないかもしれない。強化学習の考え方、ドーパミンによる報酬予測の考え方では、報酬が50%でも効果があるとされてるけど、その人の中りは30%に満たないと思うので、一時的な50%の報酬が効いちゃったのかもしれない。効いちゃったのはその人のあまりにポジティブな性格のせいかも。
それは兎も角、唐沢光太郎範士の「八秒で二度の的付け」を早気対策であげてきたのははっきり言ってがっかり。弓道読本ちゃんと読んでないんじゃないの?(まぁ、そんなに熟読するほどの本じゃないとは思うけども。)
唐沢光太郎範士は本文中で、「八秒で二度の的付け」をやってたけど、それを修正しろと言われたから早気になったというようなことを言っている。唐沢範士が早気対策として挙げているのは呼吸法であって、それではない。ちなみに、飯島範士は「八秒で二度の的付け」を小手先の技的な評価をしているけど、それは正しいと思う。ただ、飯島範士ほどの人であれば、そもそも「八秒で二度の的付け」なんて引用しないで、するんであれば、「八秒で二度の的付け」は二目づかいであると批判するくらいの見識が欲しいものだ。
まぁ、飯島範士は人格的にも優れている方なので、他の範士の批判なんてされないだろうから、『唐沢範士は弓道読本の中で、目新しくないと前置きをしながら呼吸法の大切さを力説されていた』くらいに書けば間違ってなかったのにね。
弓道の勝負って結局中ったか中ってないかなのに、射の美しさを追求するのはなぜなの?
美しいフォームでうつと当たりやすいからじゃない?
「道」にそういう意味があるから。 「弓道」じゃなく「弓競技」なら点数だけで良いかもね。
スキージャンプもヒケイテンってあるな。