2019-05-05

人生に『岩』を入れ忘れた

ある大学でこんな授業があったという。 

クイズ時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。

その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。

「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。

「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。

そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

そしてもう一度聞いた。

「この壺は満杯か?」学生は答えられない。

一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。

それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれでいっぱいになったか?」

 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。

教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生最後質問を投げかける。

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。

「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、

 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」

「それは違う」と教授は言った。

重要ポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、

 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」

君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。

それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。

ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事ものだ。

それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。

もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、

君達の人生重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事ものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。

有名なコピペだ。

私の人生にはここでいう『岩』が入っていない。

今やっている仕事は『岩』とは呼べない。

それはいうなれば『泥の雪崩』のようなものだ。

私は生き延びるために自分という人生に精一杯その『泥』を受け止め続けている。

もしこのままここに居続ければ、振り返った時私の人生は『泥』によって埋まっているだろう。

人生の中に巨大な『泥の塊』は残るだろうが、それは決して『岩』にはならない。

『岩』を入れ忘れたまま大人になった人間の姿は、『末路』というほかない。

私は一生、人生において『人生をかけるに値した何か』を得ることなく死んでいくのだろう。

  • 一山当てないとイケない病に罹患されているのではないでしょうか。 人生に意味や意義を追い求め、多くの人から称賛されなければダメだと決めつけていないでしょうか。 いやまあ実際...

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