2019-05-03

連休ぼっちになって考えたこ

年を取って、家族以外の人付き合いがほとんどなくなっていることに気づいた。

学生時代の友人も少しはいるけど、遠くに引っ越してった人は疎遠になったし、近くにいる人はみな結婚して子供いるからか誘っても返事がないしで、

結局毎年に1度の年賀状生存確認するだけという。

職場の人付き合いはあくま職場限定だし、辞めたりするとそこで切れてしまう。

twitterとかはやってるけど、あくまで見るだけで、たまにリプライをしたりされたりするだけで、人付き合いというレベルに達してないし。

普段暮らしてるだけだったらそれで問題ないし、そもそも毎日結構早く過ぎてくのでそこまで人付き合いのなさを実感する余裕がない。

その一方で新しい人間関係作るのめんどくさい、と思ってるのもまた事実で。

そんな風に過ぎていくのは、まあ今はいいのかも知れないけど、もし何かあったら結構やばいなと思う。

一家離散とか、リストラとか、そんなのがあって人間関係リセットされると、相当きついだろうなと。

なので新しい人間関係作れるようになっとかないと、と思いながらも、日々惰性に負けている。

今が良けりゃそれでいいやと。まあ気楽ではあるけど。

でも連休が長くて、ぼっち時間ができたとき、ここに書いたようなことを考えたわけで。

ちょっとやばいかなという危機感 VS でもゆでガエルでいいやという先送り。

たいていは危機感が勝って、何かやんなきゃってなってアクション起こすことが多いんだけど、

この件については、もうずっと先送りでここまで来ちゃったのは何故だろう。

  • 気付くのが遅かったから。 子供の時に老人の観察を怠ったから。 浮浪者にもそこへ至る経緯があるけど普通は見えないからね。

  • 病気になって入院したとき、親兄弟以外でお見舞いやお世話に来てくれる人はいますか? 現実を直視して今対処しよう。

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