2019-04-06

妬ましいという感情理解してきた

人を羨ましいと思ったことがない。

なぜなら、他人他人しかいから。

俺が取って代わることはできないから。

考えるだけ、思考資源を割くだけ無駄から

だったら自分のことに集中した方がいい、そう思っていた。

今は妬ましいという感情をたびたび感じるようになった。

若くして成功した人間を見るたびに。

スポーツ選手起業家

Facebookに出てくる、同年代でかなり人生上手くいった、

経済的成功と家庭を築いている人間に対して。

以前と今で、自分の何が違うのかというと。

以前の自分自分可能性を感じて、人生が前に進んでいると感じることができた。

少しずつだけど進歩してるし、きっとこのままいけば成功できる。

やりたいことができる。

好きなことを仕事にして、お金も後でついてくる、

そう思うことができていた。

今の自分は、自分の年齢に対して上手くやれている自信がない。

人よりも上手に生きている感じがしない。

停滞の中にあって、思うように事が進まない苛立ちを感じている。

そして、老いを感じている。

年齢的にはまだまだ若い世代に入るだろうが、

自分が期待している自分の伸び、人生の進捗に対して、

どうしようもなく遅れて、何も実現していないことに苛立ちを感じている。

そして、実現している一部の同世代若い人を、

ネットテレビで見て、

俺は確かに妬ましいと感じるのだ。

正しい努力をするべきだ、というのも分かっている。

以前の自分のように理路整然と目標へのステップを切り分け、

時間を割いて着実に進めば、

成功に近づけることはきっとできるんだろう。

だが、俺は毎日しっかりと努力することをしていない。

そのことも理解できている。

なぜやらないのか。

そのことも理解できている。


から苛立ちを感じるのだ。

から嫉妬する。

自分もできたはずのことを、実現している彼らが妬ましい。

妬ましさとは、自分への怒りだ。

思うようにコントロールできない自分と、自分のやってきたミステイクへの怒りだ。

それもわかっているんだ。

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