私の右手は震えていた。右手を抑えると今度は左手まで震えだした。
「おいお前、今日が初めてか?」
隣にいた大男が声を掛ける。
「お前、武器持ってねーじゃねーか」
「どうすんだよ、まったく、俺の貸してやるから使ってこい。」
「モーニングスターって言うんだ、かっこいいだろ?」
大男はそのままホームの先へ歩いて行った。
電車は1分もしないうちに姿を見せた。
電車の中は、異様な光景だった。黒いスーツとバッグの人間で溢れかえっていた。止まる時までどの顔も下を向いていたので表情はまるで見えなかった。
電車が止まり、扉が開いた瞬間、サラリーマンたちがドッと外に飛び出してきた。最初の攻撃で我々の「相手が整っていない間に襲いかかる」という計画はあっけなく崩れてしまったようだった。
私に武器を渡した大男など何人かが踏みとどまっていたが、それもサラリーマンの渦の中に巻き込まれていき、1人また1人と消えて行った。
我々は総崩れになって散り散りに退却した。大変な負け戦になったと思った。階段を降り、改札を出た。大通りへ向かうのは右だが私は左に走った。それが良かったのか、こちらへ追ってくる人数はだいぶ少ないようだった。
このまま逃げられるんじゃないだろうか...そう思った時、背中に鈍い痛みを感じ、私は派手に転んだ。後ろを見るとビジネスバッグが落ちており、1人のサラリーマンがこちらへ歩いてきていた。
「お前、俺に走りで勝てると思ってんの?こっちは皇居の周りを毎日2時間走ってんだよ?」
つかつかと私の目の前に来てバッグを拾った。
絶体絶命だと思った時、急にサラリーマンがうずくまり、変な声を出したかと思うと、息が小さくなっていき、うううと声を出して動かなくなってしまった。
「過労死」と私は思った。働きすぎたサラリーマンは時々その限界を超え、死んでしまうことがあることを私は知っていた。
九死に一生を得た私は、そのまま駅を出て、寂れた街を走って行った。誰にも会わなかった。
走りながら私の心は、堅く堅く決心を固めていた。