2019-01-27

バカ無限増殖

頭の悪い人ほど自分が有能だと思って他人を見下すと言うけど、これって結局「バカって言った方がバカ」みたいなこと?

偏差値40のバカ偏差値41の人が「お前はバカだ」と言う。でも頭の悪い人ほど他人を見下すのだとしたら、偏差値41も偏差値40を見下したのだからバカだということになる。偏差値41のバカ偏差値42の人が「お前はバカだ」と言う。でも頭の悪い人ほど他人を見下すのだとしたら、偏差値42も偏差値41を見下したのだからバカだということになる。同様の手順を踏んでいくと偏差値75でもバカということになる。この理屈でいけば、自分よりバカ人間を見つけることのできない一番バカ人間けがバカではないということになる。一番バカ人間だけは他人バカと言えないかバカではない。

ただし、それは理論上のことであって、やっぱり世の中で一番バカ人間他人バカだと言う気がする。なぜってバカから他人自分より優秀だと判断できないからだ(もともとそういう話である)。一方で偏差値75の人間他人バカだと言うのは、他人自分より無能だと判断できているのだからいいのではないかという問題も出てくる。しかし、他人自分より無能だという根拠はなんなのか。おそらくそ根拠を示したところで自分より頭の悪い人には理解できない。世の中でもっとも頭のいい人間思考には誰もついてこれないのだからもっとも頭のいい人間の出した根拠妥当性を他の誰も判断できない。したがって、もっとも頭のいい人間が誰かをバカだと言っていたら、周囲からすれば「彼は自分が有能だと思い込んでいて、他人を見下しているのね」と思うだろう。「バカって言った方がバカ理論によって世の中でもっとも頭のいい人もバカということになる。

したがってバカしかいないような気はする。それこそ人間というものか。

バカ汚染から逃れるためには、他人を見下さなければいいのかもしれない。しかし、他人を見下さな人間バカではないのかという問題がある。他人を見下さな偏差値40はやはりバカだろう。それじゃ他人を見下さな偏差値60はどうだろうか。彼はバカではないのだろうか。世の中で最も頭のいい人がバカである一方で、他人を見下さな偏差値60がバカではないというのは矛盾しているのではないか

バカ無限増殖から世界の秩序を守るためには比較的頭のいい層である偏差値60以上のすべての人が他人を見下さないことを守る必要がある。しか慶應大学などを見るにそれは完全に不可能な話だ。むしろ慶應大学人間こそ他人バカにしがちなのではないだろうか。高校中退や中卒などの人たちが他人を見下しているようなところはほとんど見たことがないのだが。

  • 違うよ。確か研究結果もでているよ。ぐぐって。

  • 同じような思索に取り組んだことがあるけど、一番馬鹿に近づいてきた辺りで、人から馬鹿にされても気づかない、自分と他人とを比較できない、馬鹿や比較という概念自体を理解でき...

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