2018-09-30

コミケ甲子園熱中症に関する議論は見事だった。

コミケ甲子園議論接続は見事だと思う。

甲子園とは文化的なことだ。

そしてコミケ文化的なことだ。

文化的とは、その集団行為には幸福がなければならない。

文化的とは利益を超えた、幸福なる概念によって結合されたものからだ。

  

その文化的である、二つを結合した。

熱中症による不幸が幸福を上回ってしまうなら、文化的とはいえなくなってしまう。

この点でコミケ甲子園は同じなのだ

  

甲子園特別であることを主張しなければいけない。

しかし、文化的であるコミケを切り捨てるなら、甲子園という文化的なことも切り捨てることになってしまうのだ。

この文化的であることの結合は見事としか言いようがない。

  

文化的であることの結合を行ったために、ほかの文化的なこととの結合も可能だ。

祭りによる熱中症対策と、コミケによる熱中症対策もこれは同じだ。

結合をはずすには、これらの文化的であることをひたすら結合しまくって

限界を見せるのが一番良いだろう。

もちろん、私はコミケ甲子園の二つにしか興味がないと言われればそれで終わってしまう。

それに結合に付き合ってもらったとしても、論点のずれがすさまじいことになるだろう。

そもそも文化的であることを結合した時点で論点はずれてしまっているのだから

これに付き合った時点で甲子園特別視している人たちの敗北は決まっている。

  

甲子園特別扱いにしたことが誤りであったのか?

私はそうだと思う。

これらは包括的に考えるべきなのだ

その点、学校クーラー問題については、文化的であることの側面がまったくないため

熱中症対策論点シンプルだ。

文化的であるというのは難儀なことだと思う。

そもそも幸福ということの議論不可能に近い。

功利主義者と道徳主義者の争いに決着がつくことはない。

  • こういう陰キャがブツブツ言ってる間にどっちも楽しむのが勝ち組だと思う

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