ゲームに追われる生活なんて家庭用ゲーム市場が発展していくウチに自然と始まっていたじゃん。
PSとSSが争っていた時代、ゲーマーが一体どれぐらいのゲームの発売日に興奮と期待に混じって恐怖を覚えていたと思っているのか。
それは何も小遣いのやり繰りに関する苦悩からだけじゃない。
あの頃からオッサンだったゲームからすればあの頃から時間との戦いは始まっていたし、今でも続いている。
次々出てくる後に名作と呼ばれていくRPGを土日に引きこもりながら必死に追うだけでも精一杯な中で、ゲーセンに行けば無数のライバル達が日々様々なゲームの腕を磨いている。
もしもそれなりに名のあるゲームで地元の一番を目指すのなら、どのゲームも卒なくこなすアイツやアイツに勝つために毎日何時間もプレイしてその後には今日のプレイをノートで反省しないと駄目だ。
でもそんな事やっていたら別のゲームが出来なくなる。
平成が始まる頃にはもう既にゲーマーはいつだってゲームに追われていたよ。
仕事や学校を辞めればゲームがもっと沢山できるのにって妄想に取り憑かれて、実行に移しちまった奴らが星の数ほどいる程度にはいつだってゲームは俺たちを追ってきた。
ネトゲという発明をどっかで悪魔が発展させ続けたことでそれはいよいよ顕著になった。
そんな中で今更ソシャゲのスタミナ程度で「ゲームに追われる感覚を知った」だと?
なまっちょろいぜ。