認められたい、という欲求。
誰でも持っているというが、自分の場合は強すぎるのではないかという悩み(?)がある。
ものの記事などでは、幼少期に両親から十分な愛情(承認)をもらえなかった人は自己肯定感が低く承認欲求が強くなりやすいとあった。
しかし冷静に周りを見渡すと、自分のことを認めてくれている(と私が感じる)人はたくさんいた&今もいる。
小中高大の友人知人、職場の上司や同僚、そして両親や兄弟姉妹などの家族。
よしんば認められている感はあったとしても、満足できていない。
自己肯定感もとても低い。
いつも「自分のような無能で無価値な男は存在意義などないし、そもそも私のような男が生きていること自体恥ずかしい」と思っている。
なぜならば、一番認めてもらいたい人に認めてもらえていない(認められたとの実感を得られない)からだ。
既に認めてくれている人たちには大変失礼なのだが、一番認めてもらいたい人に認めてもらえさえすれば他のすべての人が敵であっても構わないし、どれだけたくさんの人が認めてくれようとも、一番認めてもらいたい人に認めてもらえなければ自分にとってはまったくの無意味なのである。
認めてもらえないのは努力が足りないのだろうか?
一体何をどれだけどうすれば、自分が満たされる日が来るのだろうか。
時間は待ってはくれない、自分自身も嫌でも老いる=価値がさらに低下する。
いくら先が見えなくとも、とにかく努力し続けなければ、手に入るものも手に入らない。
追いかけても追いつけないが、休んでいれば確実に遠ざかっていくのだ。
毎日が味気なく、辛く、苦しい。
他者から見れば自分も認める側なんだという意識を持つ 主体性
どれだけ相手のことを受け入れ、認めても、相手は一向に自分のことを認めてくれそうにない…。 返報性の原理って嘘じゃないのか。