2018-02-22

平等であることの幸せ

世の中は不平等である

性別国籍、疾病、身体的特徴、生育環境…あらゆる点で違いがある。

かつて人は人が不平等であると知っていた。というより、平等という考えがなかった。王と貴族平民奴隷等々人は階級ごとに別れており、度々反乱はあれどそれは階層社会に対する怒りではなく、自分支配者に対する怒りであった。

しかし、人は平等ではないのか?と気づくときが来る。長く強いたげられた民が階層社会自体に怒りをぶつけるときが来た。

それまであった社会的身分人種の別をなくそうと人は動き出した。同じ人間である以上、スタートラインは一緒でなければならいと考えた。

しかし、スタートラインを同じくしたところで、体力のない人、足の遅い人は人生という長い道のりを走りきることができず、社会という集団から置き去りにされる。

そこで人は考える。皆で手を繋いでゴールしようじゃないか、体力や足の速さで互いを比べ合うのはやめようと。

スタートラインだけでなくゴールテープも一緒に切ろうとしてみた。これぞ真に平等であると気づいた。

しかし、ここでも問題が起こる。競う必要がないため、体力をつける必要も足が早くなるための訓練も、ズルをするための小細工さえも不要で、張り合いがなくなってしまった。

平等ってなんだろう。

というより、なぜ平等でなければならないのだろう。

平等問題の結局のところ、他人自分平等、つまり他人自分と同じであると考えなければ受け入れられないという人の精神にあるのだと思う。

互いに平等じゃないことに寛容な社会になればいいなと常々思っている。

  • やだよ 自分より幸せなやつは全員惨めに死んでほしいと思うのが人間の本能でしょ

    • 俺は自分より不幸なやつが分相応に飢えて死んで欲しいと思ってるよ

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