選択肢が限られていた時代では、不愉快なものであっても折り合いをつけるしかない。
社会全体の総意なんてものは、無数の個人の諦めが澱のように重なってできたものだろう。
今ではそんなもの、あるのか、ないのか、わからなくなってしまった。
好きなものだけを選べるようになった現在、個人は折り合いを強いられなくなった。
一見、すばらい。
不愉快なものに対する耐性の低さ、という租税を支払うことになった。
その住人は、好きなものばかり求める故、不愉快なものを許せない。
好きなものばかり求める事が許されているのは、その選択肢に多様性があるからだというのに。
たとえば、ラノベ板。
金と時間をかけて読んでいたラノベが、気に食わぬ方へ展開すると、もう耐えられない。
沸騰した憎しみを抑えられず、好きなものを見つけたときと同じ熱量で、叩き潰しにくる。
選択肢増殖炉が不寛容増殖炉でもある、という欠陥構造が、アンチを生み出す因縁だ。
リスペクトというのは、「到底、お前のことは理解できんが、対等の存在として認める」という立場のことだ。