以下は虚実ない混ぜの話だ。
私は、少々面倒臭い家庭に育った。
父は、私と弟を母に産ませた後に別れて、かねてからの愛人と結婚し継母に据えた。
だが私は母を覚えていたので、彼女を母と認めることができず、その彼女のいる家庭というものを信用できなかった。
寂しくなかったと言えば嘘になる。当時はまだ小学生にもなっていなかった。母の愛を感じられないことが悲しくて寂しくて、何度枕を涙で濡らしたかわからない。それに耐えられなかった私は祖母にすがり、父母とは極力交わらないような生活を送った。
そんな育ち方をした者がまともに育つわけがない。私の家族に対する愛情というものは酷く希薄になった。一度就職の為に上京してからは年に一、二度しか家に帰らず、またそれも私を甲斐甲斐しく面倒を見てくれた祖母が亡くなってからは怪しくなった。
だが子供…娘が産まれた時、私は愕然とした。よく言われる「父親としての愛情」が自分には芽生えなかったのだ。しかしそれでも子は父を慕ってくれる。そんな子が、かつて自分が味わった様な寂しさを感じるのは哀れに思った。だから私は、私の出来得る範囲で父親らしい愛情を演じることにした。
それは不器用で、時には妻に父親としての自覚が足りないと罵られるほどだったが、まあそれでも私としては頑張った方だと思う。
正直、心配でどうしようもない。それに、いつも家に帰れば見えた娘の顔がないことが寂しくて仕方がない。一人立ちしたことは喜ばしいはずなのに悲しくてたまらない。
妻にそのことを話すと「子供離れができていないだけだ」と言う。
「子供離れができていない」?私が?
今、私は困惑している。人並みの親の様に「子供離れ」ができずに悩む父になったことに。そして、これをどうやって克服すればいいのか、と言うことに。
それ、親の離婚関係なく普通の父親だよ。 男親というのは女親みたいに生まれた瞬間から愛情を感じるなんて人は少ない。
お腹の中で胎児を育てる母親と違って父親は一緒に暮らしていく中で自覚と愛情が芽生えてくるっていうね。 長々と少年期の体験を書くほど特異なことでもないと思われる。