この見当外れにとっては「原因Aであるとき、結果Bである」という命題に対して
本題となるところは原因Aという動かぬ前提に対して結果Bであるかどうか、というところに焦点を当てるテーマだということが理解できてない。
周りの人間が何について議論していて何が真で何が偽か突き止める優先順位が目に写らない。
そのため平気で前提を変えようとするし自分の中でそれは筋が通っていると思い込む。
この手のタイプは会議の進行をたびたび邪魔するし何か新しいアイデアを出せるのかといえば、
その原因Xという新しい前提でさえ途中で変えるため何の積み重ねも作らずに何も生み出さない。
泡のように出てきた自分の考えがさも名案のように会話にハサミ混んでくる。
徒労だ。
彼らにとって変えてはいけない前提というのがそもそもないのかもしれない。
朝起きて見知らぬ歯ブラシがコップに刺さってても、それがトイレ掃除用の歯ブラシでも平気で歯磨きするのだろう。
今日も彼らの原因Xであるべきだ、原因Yであるべきだ、水ようかんだ何だかんだという
進行妨害を受けながらもなんとか協力者と会議をまとめることができた。