2017-03-03

JRの声掛け運動がウザい

何かお困りの方がいらっしゃいましたら『何かお困りですか?』という積極的な声掛けをお願いします。

毎日毎日。朝も夕方も繰り返し駅でアナウンスされている。

もうね。ウンザリしている。いい加減に辞めてくれないかな。あれ。

困っている見知らぬ人に声を掛けるというのはその人の善意からくるものだ。

その人がそうしたい・そうすべきだと思っているからやるのだ。

運動化しているからやるものではない。

善意の行動というのはその人がそうしたいという理由からおこなうものであって外からの働きかけでおこなうものではないのだ。

少なくとも自分はそういうタイプである

善意の行動を運動化されてしまうと萎えしまう。

運動化していなくたって、周りに誰もいないような状況で本当に困っているなら声掛けるよ。たぶん。

もしくは困っている様子で声を掛けられたたら緊急時でないかぎりはできるだけ対応しようとは思うよ。最終的には駅員に丸投げするにしても。

それぐらいは言われなくてもやる(と思いたい)。

でもね。周りにたくさんいる状況で困っている人が居たとして。

声を掛けていいものか悩む。

本当に困っているのか。声を掛けられてかえって迷惑をかけるのではないか。声を掛けたところで助けにはならないのではないか

そうぐるぐる悩んで結局声を掛けれない。

それに周りには人がたくさんいるし、駅員もいる。大丈夫。きっと誰かが何とかしてくれるって。

から声掛けしない。

でもそういう状況に耐えられない・見逃せない・気にしない人が居て困っている人に声を掛ける。

素晴らしいと思う。

でもそれって声掛け運動アナウンスで言われているから?

違うよね?

その人が善意でそうしたいという意志から起こした行動だ。言われたからやっているわけじゃない。

声掛け運動アナウンスはそういった善意無為にする。

運動化するにしても働きかけの対象が間違っている。

本当に必要なのは困っている人に対して声掛けすることではない。

困っている人が『困っている・助けが必要だ』と意思表示してくれることこそが必要なのだ

人間よっぽど切羽詰った状況でもないかぎり本当に困っている様子の人の頼みを無下にはしたりしない。

困っている人の助けにはなれなくても助けになれそうな人の協力を仰ぐぐらいのことはする。

というかさー。なにゆ一般人に働きかけするのよ。

そういう運動を駅員がやっていますというアナウンスになるべきじゃん。

『何か困っていることがありましたらお気軽に駅員にお尋ねください。

皆様におかれましてもお困りの人からの声掛けを無下にせずお力添えをいただければ幸いです。お困りでしたら駅員に相談してください。』

これでいいじゃん。

善意意志運動化するのは辞めてくれ。

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