「私は誰々の弟子です」とか「私の師匠はこういう人なんですけど」と言うような感じで誰かを師匠と呼んで師事しているような人をわりと目にする。
しかも真面目なタイプだけではなくて結構アナーキーというかルール・慣習に縛られることを好まないようなタイプの人でも見かける。慣習に縛られるのは良しとしなくても、自分がついていきたいと思えるような人はいるということだ。さらに言えば師匠と言われる人ですら師匠がいたりする。師匠を凌駕する師匠は一体どれほどの人なのだろう。
師匠を持つ人たちを見かけるたびに不思議に思うのは今までの人生で私には師匠と思える人が一人もいないということである。先に言ったような自由人でも、ルールに縛られた真面目人間でも、師事していると自称するような人が見つかるというのに、なぜ私にはいないのだろう。
友人、先輩のような立場がそこまで変わらない人でも見つからないし、教師、教授のような教育的立場に立つ人でも今ひとつ師事したいと思えない。
どこか斜に構えて、完璧な人間なんてこの世にはいない、結局この人も大したことはないただの人だと思ってしまったり、お前の言うことは本当なのか?簡単に信じたりはしないぞと思ったりする。
師匠を持つ人も師と仰いでいながらもこのような気持ちを感じることはあると思うのだけど、きっとその気持をも凌駕する尊敬の念・この人にはかなわないという畏怖を感じているのだろう。
私だって、この分野に関してはこの人にはかなわないとか、この人は人一倍努力していて素晴らしいなと思うことはあるのだけど、師事したいと思うほどにならないのは心の奥底でどこか他人を馬鹿にしているからなのだろうか。それともまだそう思える人に出会っていないだけなのだろうか。
そんなやつ見たことねえよ 自己啓発書を真に受けすぎだろう
誰かに師事するより、誰かから師匠扱いされるタイプのように思える 必要なものはひとそれぞれだから、自分に師匠が必要と思えないならそれでいいのでは・・・
マジレスすると師匠なんてネタで言ってるだけだろ
(にゅっ)「お山の話!?」
(ゴム手袋をはめてキュッとする音)