どんなに助けを求めても解決策が見つからない、どんなにあがいても苦しみから逃れられない人間はやはり存在する。その人達が死によって苦しみから逃れたいと望むとき、せめて安らかに死なせてあげることが、なぜ許されないのか。
生きることに絶望したとき、逃げ道がなければ精神を病んでしまうかもしれない。「つらい、死にたい」と言った時点で、もっと周りの手助けがあったか、もしくは死ぬことができていたら起こらなかった犯罪もたくさんあったと思うのだが。
生まれたくて生まれる人間など一人もいない。最終的に生む判断は親のエゴだ。そこにはなんの規制もない。
どんな素質を持って生まれるか、どんな環境で育つか、その結果出来上がる人格の違いを単なる個性と言ってしまえばそれまでだが、集団にとって好ましい個性は強者となり、好ましくない個性は弱者となる。集団からの理解が得られない限り、努力不足ゆえに弱者になった者として切り捨てられる。
いわば、生まれ落ちた時点で負け組な人間だっているのだ。生まれ落ちた時点で勝ち組な人間には理解できない苦しみもあるのだ。
その苦しみを乗り越えて生き抜く姿は確かに美しいだろうが、犯罪に手を染めるまで追い込まれる人間を思うと、きれいごとだけで死ぬ選択肢をなくさないでほしいと思う。