2016-07-04

席を譲るのこと

小学生の頃に、ユニセフ募金活動をやらされたことがあった。

子供貧困という、いささかスケールのでかい問題に対して、同じ子供にできることなど限られているが、

そこで何円で何人分のワクチンが買えるとかいう話を聞かされるわけである

子供の小遣い程度の金額でもできることがあるのだと教えることには、大いに意味があったと思う。

もちろん、募金の何割かは協会活動費に消えるし、どうせ向こうに着いた後も汚職か何かで差し引かれるし、

せっかく掘った井戸がそのうち使われなくなることもあるしで、決して計算通りにはいかない。

しかし、たとえ机上の空論であっても、とりあえずそうやって数字を出すことで、

自分にもできることがわかりやすくなり、なんとかしようという気持ちも生まれるのではないだろうか。

そしてタイトルの話である

とにかく困っている人に席を譲るべきなのは確かだし、モラルを求めることも必要なのかもしれないが、

それだけでは、ただ延々と義務押し付けられているだけのようで気に食わない。

確かに、今席を譲ることが、いずれ未来自分にも返ってくるのだろうが、あまりにも遠大な話だ。

今求められているのは定量化ではないかと思う。

まずこの路線には老人や妊婦が何人乗り込んできて、その結果として優先席がいくつ必要で、

その上で1人あたり月に何回席を譲ればみんながハッピーになれるのか、

机上の空論であっても、それを示すべきではないだろうか。

  • 今求められているのは定量化ではないかと思う。 まずこの路線には老人や妊婦が何人乗り込んできて、その結果として優先席がいくつ必要で、 その上で1人あたり月に何回席を譲れば...

  • それより立つことに対するインセンティブが何かあったらいい気がする   たとえばつり革がひんやりして気持ちいいとか、冬は暖かいとか

  • ライフログが発達すれば、「こいつ若い頃10回席譲ったからお前らは今譲るべき」みたいなことが可視化されて公正な運用が可能になると思う。

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