2016-05-09

気狂いの世界に行きたい

気狂いの世界では物事概念化されているため

「個」による摩擦は極端に少なくなり、まるで夢見心地のコミュニケーション

わかっているようなわかっていないようなわかってもらえているようなわかってもらえていないようなコミュニケーション

そんなことは気狂いだから気にしなくて良し!という後ろ盾あなた幸福します。

そこで私は「くくり」から開放されます

女子高生のごとく突発的瞬間で感動し、幼児のごとく甘えます。歳を重ねたかの如く美!美!季節=切なさ=美!を惜しげなく表現し、これらは同じ人に賛同されます。(とあなたは真に思えるのです)

感覚表現して、いいのです。すごいことだと思いませんか。

みな気狂いの方向へ向かえば、世の中の悩み事は解決します。

この主張に関して必要なことを充分に述べていない自分に対しては 極力痛いやり方で死んだ方がいいと今は考えています

しかし気狂いの世界では私すら許容されてしまうのです。

私が要素の多い考えを打ち立てたとしたら、

気狂いの世界人間はそこから必要な分をついばみます。不必要ものは毒になりません。

そして皆が勝手思想を打ち出しては皆が勝手についばみます

それが是であるか非であるかはそんなに重要ではないのです。

必要な耐性と適応能力を求める世界から解き放たれたら、もっと感覚幸せになれます

私たちは神にはなれないのです。絶対論理思考もなければ、絶対倫理というもの存在しないことは

少し覚えがありませんか?

から気狂いの世界を見て少しだけ自分に許しを与えてあげるのです。

これ以外の文章の書き方ができない現状におります

読んでいただけた方に感謝しております

もう少しうまくかけるようになったら元気よくまた書き出したいと思います

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