「個」による摩擦は極端に少なくなり、まるで夢見心地のコミュニケーション。
わかっているようなわかっていないようなわかってもらえているようなわかってもらえていないようなコミュニケーション!
そんなことは気狂いだから気にしなくて良し!という後ろ盾があなたを幸福にします。
女子高生のごとく突発的瞬間で感動し、幼児のごとく甘えます。歳を重ねたかの如く美!美!季節=切なさ=美!を惜しげなく表現し、これらは同じ人に賛同されます。(とあなたは真に思えるのです)
この主張に関して必要なことを充分に述べていない自分に対しては 極力痛いやり方で死んだ方がいいと今は考えています。
私が要素の多い考えを打ち立てたとしたら、
気狂いの世界の人間はそこから必要な分をついばみます。不必要なものは毒になりません。
不必要な耐性と適応能力を求める世界から解き放たれたら、もっと感覚で幸せになれます。
私たちは神にはなれないのです。絶対の論理思考もなければ、絶対の倫理というものも存在しないことは
少し覚えがありませんか?
だから気狂いの世界を見て少しだけ自分に許しを与えてあげるのです。
もう少しうまくかけるようになったら元気よくまた書き出したいと思います。