何かを効率的に学習するためには洗練された学習法が必要だ。学習するためにあらかじめ学習法が必要となるが、私たちは生まれつきその学習法を習得済みというわけではなく、当然洗練された学習法を学習するというプロセスが必要となる。しかし世の中には洗練されていない学習法と洗練された学習法があり、私たちは洗練された学習法を選択し学習すべきであるが、洗練されていない学習法と洗練された学習法から後者を選択するには、洗練されていない学習法と洗練された学習法を区別するための洗練された学習法を先に学習しておくことが必要となる。仮に洗練されていない学習法と洗練された学習法の区別を学習するために洗練されていない学習法を先に学習してしまった場合、私たちの行う洗練されていない学習法と洗練された学習法の区別はその分、精度を欠き、したがって洗練された学習法に則って学習したと思っていたところ実は洗練されていない学習法によって学習をしてしまうということになりかねない。結局私たちは何にも増して洗練されていない学習法と洗練された学習法を区別するための洗練された学習法を先に学習する必要があるのだ。英語学習においては、英語力を向上させにくい学習法と英語力を向上させやすい学習法の区別を行うための洗練された学習法を先に学習する必要があるということになる。私たちがまず学習すべきは「英語力を向上させにくい学習法と英語力を向上させやすい学習法の区別を行うための洗練された学習法」(メタ学習法と呼ぼう)なのである。あとは私たちはメタ学習法を効率的に学習するのみであるが(なぜならメタ学習法を習得できさえすればあとは効率的に学習が進むからである)、メタ学習法を学習するための効率的な学習法と非効率的な学習法の区別もできなくてはならない。英語学習においてまず必要でかつもっとも大事なことというのはメタ学習法の学習をいかに効率的に学習するかということである。メタ学習法の学習において洗練されていない学習法とは効率的な学習法と非効率的な学習法の区別の曖昧な学習法である。私たちには効率的なメタ学習法が必要なのである。ここにおいて難題が発生する。効率的なメタ学習法の学習において効率的な学習法と非効率的な学習法があるのではないかということである。たしかに効率的なメタ学習法について私たちは生まれつき知っているわけでもないため学習しなければならない。だがその学習にはやはり非効率なやり方と効率的なやり方が存在するということである。無限にさかのぼった世界の根本において私たちは効率的な学習法を選択しなければならない。まず大事なことは世界のはじめの地点において私たちが非効率を避けるというやり方を選択するというその神話的な行為にかかっている。英語の学習にはすべてがある。そこには世界の秘密が眠っている。なぜはてな民は英語ができるようにならないのか。なぜはてな民は英語の学習法を学習し続けなければならないのか。英語の学習法の学習とは一つの哲学である。私たちはどう学習するか。なぜ学習できるのか。はてな民が英語ができるようにならないのは神話的な原因があるのではないか。たしかにそうなのかもしれない。私たちの冒険は続く。
同じ結果を得るためにどっちの方法がより良いかを知るには、同じ量の時間や労力を費やしてみて得られた結果を比較すればいいんだよ。 そういう素朴な科学的思考力は、人は生得的に...