2015-09-02

オリンピックを混乱させたのは失敗を許さな日本社会である

失敗を絶対に許さな社会では、問題は一切起きず成功する事があたりまえのことであり、失敗はあってはならないことである

もしも問題が起きてしまった時は、隠蔽してなかったことにするか、それが問題であると認めないことで対処する。教育委員会いじめ隠蔽するようなものだ。

予算オーバー新国立競技場首相により「民主党時代に決まったこと」としながら白紙化された。盗作疑惑エンブレム騒動は「一般国民理解が得られなかったため」撤回された。

頑なに謝罪をせず、責任を取ろうとしない態度は関係者に共通している。新国立競技場予算オーバーのまま強行しようとしたが失敗、責任押し付け合いが始まった。

エンブレムでは抗議を受けてすぐ、作か否かの検討調査を行うより先に委員会は「盗作ではない」という見解で一致、その後は「オリジナルであるという確信」を固持している。

失敗を早期に認めることができないため、被害は広がっていく。そして人々が謝罪責任(辞任)を強く求めるほど、誰もが責任を取ることを恐れ、対処されないまま事態は更に混乱していく。

ではどうするかといえば、失敗を前提に計画すること、そして今回一部で起きたような私刑ではなく、問題解決による失敗の挽回を目指すことで失敗を早期に解決することができるのではないか。

教育委員会いじめ隠蔽問題となったが、最近では「いじめは必ず起きるもの」とし、いじめ問題の解決を教育活動に取り入れるという取り組みが行われている。

今回の件も、誰が悪いと責任を追及するのではなく、なぜそうなったのかという原因究明と経緯説明、どのように解決するか、という問題組織全体で取り組むことが必要だと思う

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