書くことと、声を発することが好きな青年がいた。
だが、彼を好きな人間は誰もいなかった。
賢者は彼に書き方と声の発し方を説き、愚者は彼の文字と声を批判した。
青年は書くことも声を発することも好きだったが、賢者の教えも愚者の批判も苦痛だった。
彼は耐えられなくなり、とうとう自ら耳をそぎ落とした。
それでも不十分だと感じ、今度は目をくり貫いた。
そうして失くしていくうち、彼には書くためだけの腕と、声を発するための口だけが残った。
とても不自由だったけれど、この世界を離れる選択だけはしなかった。
きっと自分の声は、書いたものは、きっと誰かに届くという、根拠はないけれど確信はあった。
だがそれはまやかしだと彼は気づかない。
それが幻覚だと気づくには、彼には目がなかった。
それが幻聴だと気づくには、彼には耳がなかった。
それを気づかせてくれる人すら、彼は自ら拒絶した。
彼の書いたものが、彼の声が届いた人がいたのだ。
彼は嬉しくて、その人と一晩語らった。
それからしばらく経ち、少し冷静になると、彼は重大なことに気がつく。
僕には目も耳もないのに、なぜ会話が成立するのだ。
そもそも、なぜ僕の書いたものが、声が届いたと認識できたのだ。
彼と会話していたのは、彼自身だった。
「他人は僕で変わらない、僕は他人で変わらない、僕と同じ人間はいない」
彼はそれに絶望することすら拒絶し、その事実を消去するために心も閉ざした。
こうして、彼は書くことと声を発するだけの物体になった。
ただ、彼へ向けた届かぬ問いかけだけが残った。
「善悪関係なく、聞きたくないものは全て聞かない、見たくないものを全て見ないようにすれば、その世界にはお前しかいない」
「お前しかいない世界で、お前が書いたものはお前しか読まない。お前が発した声はお前にしか聞こえない」
「それは、もはや書いていないのと同じだ。声を発していないのと同じだ。それでもこの世界にしがみつく理由が、お前にはあるというのか」
「もう諦めましょうや、賢者さん。手遅れです」