2015-01-24

無知の知暴力性および非対称性引用について

たとえで今回の誘拐事件を例にとって話を書いていこうと思う。

SNS上で各報道機関編集者が今回の後藤氏の母の会見について編集することを許して欲しいとする旨を伝えている。

このような情報を知っていれば、情報を与える側である人たちが今回の事件をどのように扱っているのかを知ることができる。

しかし、そのような一種のコネともいえる情報ソースが得られない場合

前提としている根拠が把握できない情報を与えられる側の人たちは、

後藤氏の母の会見がどのように受け入れられ、また解釈されているかについての断定を

レッテル張りもしくは根拠無き妄言としたり、もしくはエスパーを相手にしている気分になるのかもしれない。

そして、自分の把握できない前提情報が眼前にあることとその際に暴力性を発揮することは必ずしも結びつかず、

結びつくかどうかは個人によるといえる。

無知の知を持たず偽りの万能感に満たされた幼稚な人物、脳内麻薬系の精神障害を抱えている方とも言い換えられる。

このような人物の持つ暴力性は投薬治療によってでしか改善することは期待できない。

親族の方の心中をお察しすると共に、共同体としての責任果たして欲しいと願ってやまない。

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