2014-07-13

さっきふと思ったんだけど、他人の不幸に同情できるのは

自分に類がおよばないと確信している時だけ、かもね。

自分結構利用していたある店が倒産した時、ネットリアル報道されるそこんちの倒産劇が生々しかたから、そこの従業員は気の毒だなと思っていたが、半年後にうちの会社結構ポジションで入ってきて、そいつが口ばかり達者な単なる無能青二才だったんでみんなが迷惑している。クビにできないのかな、こういうの。

リーマン・ショック放出された銀行系の人材採用するために玉突き的に解雇されたメーカーの元部長がうちの経理部長になって、会社の経理関係稟議が進まなくなってしまった。

世の中めぐりめぐっているんだな、と思わずにいられない。

  • それは同情でなく、同情の皮を被った無関心だよ。

    • そう、まさに。だから同情って言葉は安売りされているということだ。 同じ立場だったらつらいだろうなと一瞬考えたが、自分の問題となると手のひらを返す。人のことは所詮他人事と...

  • 同情 というのは、元々、移ろいやすいただの感情のひとつに過ぎないんだよ。

    • 自分が、自分の場所を分け与えるつもりはないのに、他の人には「なんであなたはこの人に同情できないのか」と怒り出したりする人もいるしね。

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