そのリスニングの代替試験が長文読解で、スペースを全削除した英文だった、という話をきいた。
"governmentofthepeoplebythepeopleforthepeopleshallnotperishfromtheearth"といったような
英語の試験を行う狙いは英語による発信を正しく理解する能力の見極めと理解している。
リスニングの場合は、音声で発信された英語を頭の中で把持し、理解する能力。
文字は音声より長時間刺激として提示される、そこで生じる有利をなんとか削いで
通常のリスニングを受ける学生との難易度を揃え公平性を保ちたい、
肝心の「(耳がきこえにくい人が)英語による発信を正しく理解する能力」をこの問題で評価できているのか。
長時間刺激として提示されるのが問題なのであれば、ある程度の長さの文章を速読させて、
その文章を回収した上で問題に解答させるなりするほうが余程英語試験の狙いに合致しているのではないだろうか。
音声で発信された英語を聴く機会は大学入学後も卒業後も数多くあるだろう。
翻ってスペースの全くないような意地の悪い発信形態の英文に触れる機会がどれほどあるだろうか。
悪筆の外国人教師のメモを読み取るとか、雑誌を切り貼りした脅迫状を読むとか
(昔の電信は文字数が限られていたというがスペースがなかったりしたのだろうか)
それに、通常の聴き取り試験は、その練習のための教材が巷にあふれているのに対して
スペースのない英文を素早く読むための参考書や問題集は果たして入手できるのだろうか。
自分は「障がい者差別!」などと声高に叫ぶつもりはまったくない。
このような「コレジャナイ感」漂う問題を是としたことを非常に残念に感じたのでここに書き捨てる次第。