幸せはどこにあるのか、そういう話です
我を通さない生き方だ
我を通す生き方だ
どちらも辛い
我を通す生き方をしてる人が身近にいる
彼女は、自分と周りの差に敏感で、話が合わず、波長を合わせられない
彼女は、批判的であるかもしれない、狭量であるかもしれない、考え不足なのかもしれない
けれど、辛そうである
そして、彼女最大の不幸は「例え我の通さない生き方をしても辛いことには変わりがない」という予測があるという事であろう
彼女が自分と周りの差を埋め始め、話を合わせ、波長を合わせ、受容的になり、寛大になり、思慮深くなったとする
それは彼女にとって新しい苦痛の始まりで、自分を偽り否定する事になり、「自分のしたい事」と「自分に望まれている事」の間で葛藤することとなる
「I never promised you a rose garden.」という言葉がある
統合失調症者が寛解し、現実検討能力が戻った事で葛藤が生じて、それを医者に訴えた後に言われている
生きる事とは苦しさも受け取る事である
死や逃避を選択してしまえば、楽になるのに、死の欲動や涅槃原則に従って、自殺をしてしまえば悩まなくても済むのに
けれど、それが彼女にとって本当に幸せな事とは言えない気がするのだ
でも、社会に適応すると言う言葉が 一部の扇動屋の、扇動屋の不利益になることに対して、空気読めよと周囲を恫喝して統率していく行為を助長しているよね。 会社の利益より派閥...