結局、関係のない第三国から見れば「くだらない事で何いがみあってるんだ?」と言う風になる。
よく、遠い国の内実や隣国との関係が悪化しているニュースなどを聞いても大して気にもとめないあの感じ。
気にしない人間は怠惰なのではなく、単に心が感じたように行動したに過ぎない。
国がなくなる?国がなくなったらどうだというんだろう。言葉が通じない?通じないなら学べばいい。
国家という問題について考えるとき、忘れてはならないのは「誰もその国に所属することを望んで産まれたわけではない」という点。
国というシステムは非常に古い歴史を持つが、しかし自然なものではない。人間が作り出した人工的な概念だ。つまり幻である。
なのに、そんな国というものについて過剰な期待、過剰な怒り、過剰な思い入れを持つのは自らの人生にとってマイナスになることはあってもプラスにはならないだろう。
人は本来自由なはずなのに、物語に過剰に入れ込んでしまうことで不自由になる。現実とは物語である。レイシズムも、ゲームにおける国家の争いがある意味では滑稽なように、たいしたことではない。
だから感情をあらわにしている人々に対して、小説の登場人物が叫んでいるシーンを当てはめてみればいい。彼らは幻であるところの物語(=現実)をまるで真実であるかのように思い込んでいる滑稽な人々に見えてくる。彼らを嗤っても意味はない。彼らに怒ることはもっと意味がない。フィクションのキャラクターをフィクションのキャラクターと明確に自覚しながら彼らを「説き伏せたり」彼らに「怒りをぶちまけたり」する人たちの行動はお笑いでしかない。そんなのは漫才師のコントでやればいいのである。