どうも、咬み合わないのかもしれませんね。
「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心だよ!」ってよく言うじゃないですか。あれどう思います?
確かにその通りですよね。初めて聞いた時は感心しました。無関心、極端に言うと一切存在を認知してないのに好意は発生しませんね。
でも…よく考えてみたら「嫌い」は好きの反対じゃなくなるのは変な気がしませんか?
なぜ「嫌い"じゃなくて"」と捨てるのでしょう。好きと嫌いはやる事なすこと…実際"反対"だし、一つしか選べない決まりがあるわけじゃなし…
好きの反対は嫌い。好きの反対は無関心。両方反対で良いゃないですか別に。ねえ。
じゃあ嫌いの反対は?やっぱり好き、と、無関心。頭の片隅にもないものを嫌いになるのは難しいです。
三角形を想像して左上から時計周りに…▽ 好き、嫌い、無関心。まとまった。
でも、またふと考えると、無関心の反対って何…?
無関心の反対は、関心です。関心とは好き嫌いよりも広い視野で物事を測ります。関心には好きも嫌いも含まれます。嫌いという感情にはどこかしら、自分の嫌な部分が含まれていり、自分が否定してきた価値観や、自分の失敗などが含まれています。どこかに自分があります。表裏一体とはこのことではないでしょうか。興味、で考えれば分かりやすいかもしれません。嫌いな物には、どこか否定、という感覚が含まれますが、興味がないことには心が動きません。嫌いにも至りません。
希望の反対は絶望、一本のどこまでも歪みの無い軸ですが…もう一つありませんか。
希望も絶望もない…無関心…無望(字面重視型)…それは「無」。喜びが無い、悲しみが無い、楽しくない怒ってない。望みも無い。
正に何も"無い"事ですよね。心が全く何も動かない状態。希望は心が動いてますし、絶望も心が動いてます。
現実的には植物人間であったり、心の病であったり、強いショックや痛みの蓄積、理由は色々あり心が動かなくなる、心の死。
絶望という言葉で語ろうとしていたのはこれなのかな、とか思いました。でも絶望と無は違います。違う所に立てば、違うものが見えるでしょう。
文面を読み取ることは出来ますが、その先で何を言わんとしているかはよくわかりません。それもこれまでの話と関連付けてとなると。
無とは、私は絶望の末死に至ることがなかった場合の常態化したものだと考えます。肉体的な死後の無と、精神的な死後の無に、それほど違いはあるでしょうか。絶望も希望も、きっかけに過ぎないでしょう。その先の状態を見ると、生と死に分類されるのかもしれません。
関心をもつ、の中に好き嫌いがあり、その大枠から外れた無関心があるように 生の中に希望と絶望があり、その外に死(無及び精神的な死)があると思われます。
嫌いの末に無関心があるように、絶望の末に死があるのではないかと。
私も"恐怖=生への渇望"や"恐怖=希望"ではなく"恐怖=死に対する抑制"として捉えています。 ただ、"長生き"は 「長生きというのを1秒たりとも長生き」の意味で使用しました。 "終わるま...
単純化が起きるのはなぜでしょう。 私がもともと、「長生きを望む人は希望があるから」と表現しているのは、長生き=目先の生存、というあなたの考えのもとで表現したのではなく...
少しまとめましょうか。長くなっていますし。 あなたの今回の文章前半・後半部分それぞれから 「生と未来の生存:積極的生」="希望" 生きたい人・長期の生存を(健康など有効性も含め...
ループしているのは当然でしょう。私は初めから一つの答えしか出していませんから。どんな方向に流れようとも行き着く先は同じ答えに収束させています。それが発端であり結論です...
正直に言いますと、私が言いたかった内容はもう全て語ってしまいました。引き返して語る気はあまりしません。 それに私はあなたと殲滅戦をする気はありませんよ。この平行線の先は...
どうも、咬み合わないのかもしれませんね。 「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心だよ!」ってよく言うじゃないですか。あれどう思います? 確かにその通りですよね。初めて聞い...
いえいえ、何も感想がない事も充分感想の一つですので 求めているものは得られました。それでは。