2011-02-27

縁の糸はひとつはな

さっき、 Twitter で、今まですごくよく仲良くしてくれてたアカウントの人が私のアカウントを Unfollow してたのを知った。ついにこのときがきた!

そのアカウントの人の Post は私にとって面白くて、いつも流れてくるのをとても楽しみにしてる。今もね。だから先方がこちらのアカウントを Follow して、そのうちに会話のようなことができるようになってからは、より楽しく、面白かった。

なのに今の私は、先方に Unfollow されて、なんだかとてもすっきりしてしまった。かなり気分がいい。別にストレスなんかなかった。相手を煙たく思ったり嫌ったりしてもいなかった。どうして Unfollow されたかは、前後の Post から自分でいくつか予想が立てられる気がする。

まあそれはそれとして、「すっきり」の正体。私は自分をよく見られるのが苦手で、どちらかといえば、自分とは合わないけどまあ在り方としては認めてくれる、っていうひとじゃないと長く仲良くやっていくのが難しいんだけど、そういうところもひとつの原因かなあ。自分のことをあまり良いほうにとらえてもらう状態は不安になるんだよな。仲良くなっていくほど。ひいき目を疑いだすから。だからどれくらい、だめなほう、きたないほう、相手と意見や態度が合わないほうの自分を見せても許容できるのかを気にしてしまう。

から Twitter でも、単に趣味が合いそうってことから入ったときに、変に良いほうに解釈されたくないので、できるだけ、楽しいことと好きなことへの Post に釣り合わせるくらいに、素の自分ダウナーなところや気の短いところや卑怯なところも書くようにしてる(弱点は一切書かないが)。 Twitter 自体は、誰かとのコミュニケーションよりも、自分内面や感じてきたものたちをどこかに遺しておきたいって目的で、何年も前から Post してやってきてる(Twitter は遺すというよりどんどん流れるけどな)。だから自分の心の琴線に触れるような Post をしているアカウントほど、相手への Reply をめったにしなかったり、何かに駆られる気持ちになっても、自分の Post で口をはさまないように気をつけてる。

私がすっきりしてしまったのは、相手がどちらだったかはっきりしたような感じと、今は見られてない、って思ったら、「これでまた心置きなく自分のこと遺しができるじゃねーか!」みたいな感じなのだろう(笑)。許容されたらされたでうれしいし、されないならスパっとそのようにしてもらったほうが、許容できないものを、いま目の前に縁があるから、惜しいからってずるずるするより全然いい。そんなんでずるずる続ける縁にお互い良いことないだろうし、この形限りでないその人とのご縁の可能性に目をやるほうがよっぽどいい。例えるなら「こいつとゲームしても全然楽しくないけど、こいつとの散歩めっちゃ楽しい」とかそんなところ。ただ、相手が違う糸の可能性に目を向けなかったら、ほんとにこれきりだなあ……(笑)。ああ~、これきりかもしれない可能性を思うとちょっとさみしいな。

(本当は自分のダイアリとかにこれを書きたかった。でもちょっとあんまりな感じだし、相手に失礼にあたりそうなので……ていうかすっきりて表現がよくない感じ……。そのうち堂々と自分のダイアリに書きたいなあ)

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