2011-02-14

健康で文化的な最低限度の生活」に対する違和感

これってさ、共通認識が必要だよね。

たとえば、今70-80世代の人にとって携帯電話パソコンも必需ではないけど、今の20-30代にとってはほぼ必須でしょ。

逆に、70-80代の人にとっては、固定電話なんかが必需かな。

で、文化的っていうのは「どの基準に照らした文化か、というのが問題になるはず。

例えば、教室に冷暖房器具を入れるというテーマで、「そんなものは金の無駄だ」というのと、「温度湿度を管理するのは児童集中力向上と夏バテ防止が見込める」っていう意見独立して相容れないじゃない。間とって扇風機入れんのかって話で。かといって下敷きうちわを認めるにしても手が疎かになる。

個人的には「現代の文化」で冷暖房もないとか非文化的にも程があると思うけど、それがない時代に生きた人々にとっては贅沢品に映るし、実際なくても生きて行けるようなノウハウ(水風呂に入るとか伸びきったシャツ一枚で過ごすとか)を持ってるんだと思うし、それが彼らにとっては文化的なんだ。

というわけで、文化的という基準をいつに合わせるのかというのは非常に重要な問題だと思う。特に、生活保護などのような国民ならば誰しも受給資格を持つような制度では、そういう文化価値観の相違による軋轢ってのは必ず起こるし、法運用をするのに幅があるようなものを放置しておくのは問題と言える。

じゃあ、どうするのか。平均年齢に合わせるのか、それも国民にいちいち信()を問わせるのか。

より現代的な生活を保障するならば、その文化水準は高くなるし、その維持コストも膨れ上がる。

現代的な生活を保証しないならば、(少なくとも私は)文化的という言葉疑問符が残る。

どうすんだYO!

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