村田の導入は表面→本性で、終盤の主人公の導入は本性→表面だと思う。
修復不可能な家族はやっぱり修復不可能。
最後に娘の前で「生きるって痛いんだよ」と残し首を切って絶命する。
その直後、娘は父が死んだことをあざ笑い喜ぶ。
主人公の思いが全く届かず家族が崩壊したままなことを象徴していた。
終盤、主人公は狂気と残虐性を持って、
表面上は理想の家庭を築こうとする。
方法を問わずそれを実現させようと動いてしまったのだと思う。
仲の良い幸せな家庭、その象徴というのが
主人公にとっては一家揃っての食事(もちろん携帯もなし)であり、
子どもの理解と妻との愛がそこになければいけなかったのだろう。
妻を乱暴し、問題を言わせ、暴力で打ち消す。
手段が省略され主人公の目的と結果だけが残り、表面上の解決が得られる。
主人公が起こす極端な行動は
理想を実現させるために積極的に動くことのなかった過去の反動であり、
方法を問わずに行われたその結果は表面的には主人公の望むものに近い。
一般市民の代表である主人公は、怪物である村田に振り回される存在であった。
が、決意からか、主人公は村田を殺害し、自らが怪物へと進化する。
願望が狂気を呼び怪物を生んだ。
怪物を否定し何も救いを生まないことを言い、
どこまでも観客を突き放す。まさに傑作。