商標権の話は的はずれじゃないか。
キャラクターを表現する際、元の意匠他を模倣しないことにはそのキャラクターであると判別できないんだから、既存のキャラクターを使った二次創作が著作権を侵害するのは必然だよ。
普段肩身狭い思いをするSFファンならエンドレスエイトが面白いと感じると思うんだ。
ループは基本3回まで。
この原則をぶち破ってループSFを展開してくれている京アニに感謝したい。
しかしかなりの批判をされてやってくれている京アニが心配だ。
児ポで表現の自由が侵害されるとか騒いでいる輩が多いので断言しとく。
この世に自由を防げられるものなんて、何一つない。
もし児ポ規制法が通過したなら、愛好家は非合法に活動すればいいだけ。
もちろんバレたら捕まる。だから、バレないようにすればいい。
ただそれだけの事だよ。
その拳に恐れて、何もできないなら、そんだけの価値ってことだよ。
人間には人を殺す自由だってある。殺されそうになった人は、殺そうとしている人を殺す自由がある。
レイプする自由だってある。レイプされそうになった人は、レイプしようとしている人を殺す自由がある。
この世にしてはいけないことなんて、何一つない。
でも、自分の自由と相手の自由が衝突したら闘いになる。
そんな事が、あちこちで起きていると、国家が困るから暴力を使って人間を制限する。
そして、その檻の中の自由が権利だ。
だから、その檻が気に入らないなら、出ればいい。
檻から出ちゃえば完璧に自由なんだよ。
見つからなきゃ、檻の中に戻る必要なんてないんだよ。
檻の形を変えるのは、内からはもちろん、外からでもできるんだぜ。
って言うか男性の方はどうなのか、自分のケースを振り返ってみたらどうなのかな?
自分の場合一回もなかった
ほとんど一目ぼれ(顔というか自分好みの振る舞い)
男性もそうなんじゃないのかな?
こういう女嫌いで同性より異性の友達のほうが多い女性からみて
「惚れる対象とそれ以外の境界」はどんな基準で決まるものなの?
病は気から、というか、やっぱ精神って明らかに肉体機能に影響を与えるよなあ。
クリエイティビティの根源は、肯定だと思いますよ。
批判されてよくなるなんて、どんなマゾっ気のある作品だよという話で、良い作品っていうのは大概褒めて伸ばされてるもんだと思います。
『マルホランド・ドライブ』のどこからなにを思い出したのかはよくわからないのですが、大変な批判にさらされたということでしょうか。それでリンチ作品がよくなったとか、わかりやすくなったとか、とんと聞いたことはありません。この辺はちょっと解説して頂かないと。いろいろ文章が虫食いでわかりにくいです。
業界を批判しているアニメがあるかということで、批判とまではいわないまでも『アニメーション制作進行くろみちゃん』は業界物だったかなと思います。えぐめで言えば『エクセル・サーガ』でしょうか。でもまあそもそも自己批判アニメを作って誰が見るのかという話になります。主流とは違うものを作ろうというならたぶん新海誠の『雲のむこう、約束の場所』とか、『イヴの時間』等はがんばっていると思いますね。
アニメ誌に批評がのらないのは、より売れるための装置としての雑誌だからです。売れない理由をわざわざあげつらうまでもありません。そういう意味で言えば、アニメ業界なんて小さいもんです。アメリカだと例えば『アルマゲドン』とか、テレビで女性コメンテーターが低俗だとけちょんけちょんにけなしていたことがありましたが、日本ではそういうことはありません。
いいものを作ろうとしているのではなく、売れる物を作ろうとしているのです。だから似たようなジャンルに固まるし、お金を出す人たちは決まってくるし、当然その人達の発言力は高まるし、コストパフォーマンスがいいものが求められます。
原作物であっても配役まで口出しできるのは、大出版社がバックにいるんでもないかぎり実現しませんし、売れてる声優は高いし、新人があたったらおいしいし、どうせなら自社製品を売り込みたい。あんまり作品に口出しをしないパチンコ業界とか、救世主に見えてくるでしょ。
アニメ業界は見た目ほど強固でも大きくもないんです。強固にしたり大きくしたりする方法はしりませんが、自己批判は対して役にはたたないと思います。
痴呆が進んでいる祖母のところに彼氏を連れて行ったら、びっくりするぐらい元気になった。
5年以上前に戻ったかと思うくらいに元気だった。
私も初めて聞くような昔話を彼氏にしていた。どちらにもちょっとずつ嫉妬した。
そしてますます好きになった。
っつーか、友達づきあいって損得勘定ありきのもんだと思う。
そうなのか。あんま考えた事なかったな。
その場その場で誘いを受けたいか受けたくないか、誘いたいか誘いたくないかって判断はするけど、友達であること自体が損か得かっていう計算はしたことなかった。
やべー、俺、友達の心の中で干される5秒前かも。
ちなみに小沢一郎のマネーロンダリングに利用されている(というか、マネーロンダリングのために設立された?)という疑惑が指摘されている「ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター」もこの「特定公益増進法人」だな。会長はもちろん小沢一郎。
他にもいろいろとしらみつぶしに見ていくと面白い事になるかも知れんね。
「会社に行くの嫌になった」になる前に休め。
さすがに週3回ってのは多いと思う。
けど、東京のどこに住んでるかにもよるんじゃない?
観光客が集まる場所ならそういう機会も多いと思うし。
例えば、東京駅の構内だと、東京ディズニーランドに行きたいガイジンに声をかけられる。
初めて観た。
泣いた。子供みたいに泣いた。
一話目のラスト近く、駅で彼女が待ってるシーン見た瞬間からもうダメだった。
そのシーンで描写されてる駅が自分の高校時代の最寄駅にそっくりで、
以下自分語り。
高校のとき付き合ってた子のこと。
当時付き合ってた子とは一緒にプロを目指してて、
でもそんなに自分は上手くなくて、
仕事として音楽を見るようになって情熱が消えてしまったやらなんやらで
結局俺は音楽で食ってくのを諦めて一浪して普通の大学にいった。
その子は音大にいった。
その子に対して負い目があった。だから連絡も取れなかった。
何とか対等になりたい、その子に会ったときに胸を張れるようになりたいと思ってた。
で、なんだかんだあって誰でも知ってるいわゆる大手企業に入って、
収入も悪くない額を安定して得られるようになった。
内定したときは「これで会える」って思った。
でも会えなかった。
今も弾いてる。誰も連絡がとれない。
高校のときの友人が、その子が俺のこと心配してたっていう情報を今さらくれる。
おせぇ。何年前の話だそりゃ。
会いたい。
別に付き合いたいとかじゃなくて、一緒にご飯食べて、お酒飲んで、あの頃言葉にできなかった気持ちを懐かしく振り返って、
会わなくなってからのことを伝え合って、「お互い色々あったんだね」としみじみしたい。
区切りをつけて前を向きたい。
マジレスすると、大家と賃貸人(店子という)が直で契約して揉めた場合、殺し合いまでいってしまうケースが多い。
増田は「自分はそんなことない」と思ってるかもしんないけど、冷静な第三者を入れた方がスムーズに進むんよ。
んで賃貸人と不動産屋が修復不能まで揉めた場合、その不動産屋が加盟していれば不動産協会に相談に行くとよろし。
増田からすれば「なに、不動産屋の味方じゃねぇか!」と思うだろうけど、本当に不動産屋が悪質だったら業界内の評判が下がるからね、閉じた世界の中で陰口とか嘲笑ってキツイもんよ。ちったぁ効果がある。
mixiとかにも当てはまるのかな
1
特に住所を市区町村レベルで晒してると、他の情報と合わさって詳しい住所まで判明してしまうかもしれない
近所にどんな建物があるか、どんな店があるか、なども情報を絞りこむ上でのヒントになってしまう
2
自分が気をつけててもそっち経由からばれるかもしれない
3
あえて嘘の個人情報をいくらか晒すのもいいかもしれない
1にあるような情報の中に偽の情報をあらかじめ混ぜ込んでおくのだ
あまりやりすぎるとさすがに矛盾が出てきてしまうかもしれないが
4
5
そもそも、批判されるような事をし(ry
自殺という問題は、それを専門に扱っている医療関係の人でも対応の難しいものです。
電話口で自殺の決意を語られている時、多くの人にとってそれは知りたくない事実で、でも知ったからには自分の目覚めが悪くしないためにも全力で立ち向かわなければならないなにかにかわります。
あなたを知ったからには死んで欲しくない。
そういう意味では、私は自殺という状況には踏み込むというより踏み込まれているのではないかと思います。
実のところ漠然とした死にたい気持ち、つまり希死念慮については、特定の人だけが持っているものではありません。
話題にあった薄命のヒロインたちを扱った作品は、多くの人が持つ漠然とした希死念慮に訴えかけたものです。その意味で言えば、女性の方がずっと強い死に対する思いを持っているのかも知れません。
なにかの拍子に、暴力的な死への願望に引きずられる。それはとどめようのないものにも見えます。
そんなに多くのことが出来るとは思わないことだと思います。
ただ自分自身があとで後悔することがないように、直面した時は全力を尽くすべきだと思います。
警察に通報するというのは、適切な対応ですよ。
身長は変えようがないなぁ。
でもそれ以外は自分のこと嫌いじゃないように感じた。
「それが当たり前」
って思えば気にする必要もなくなるんじゃないかと思うんだけど
そうでもないのかな?
いやぁ、市役所の無料相談、区役所の無料相談、弁護士会館の有料相談二カ所、不動産協会の無料相談、あともう一カ所無料相談行って全部「我慢しないと」ってい言われて、
「依頼していただけたら腕によりをかけます」
って言ってもらえてね。
細かいことは書けないし、俺も文章が上手くないから、そんだけ断られたら俺の方が悪い、間違ってるんじゃないかと思われるだろうが、全ての弁護士から「我慢しなさい」とは言われたけど「あなたが悪い」とは一度も言われなかった。
例えば「隣家がうるさくて何度抗議しても聞いてくれない」レベルだと、ネットで調べれば騒音測定やって何日続いているのか記録をとってって、そういうのの積み重ねじゃん、
紹介者いないと引き受けてくれないっしょ。
熱心に毎期の放送を見ていたり、過去を振り返ったりしているわけではないが、
クリエイティビティの根源は批判だよね、などと少しは思ったり、納得はしている。
http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-3406.htmlを見て、
なんとなくデヴィット・リンチのマルホランドドライブを思い出したんだが、
アニメ業界を批判しているアニメ作品は過去にあったのだろうか?
こんなことを書いている間に、アニメは個人だけでは出来ないという映画との決定的な違いがあることに気づいた。
それにコミケなどのコミュニティーがアニメへの批評活動があって、そこに参加する人も業界人とが重なるっていう面もある。
でも記事を見ていると、現状は乖離しつつあるんじゃないの、とか思った。
目に見えるようになったとか、それだけアニメの市場規模が増えて、人口が多くなったとか言うことか?
気になったのは、ここまで。