納豆だのバナナだのテレビで紹介されるだけで大勢が振り回されたり、怪しい占い師モドキの放言をありがたがったりという事象は現実として発生しているわけで、元増田はこれらを「社会全体からしてみればものすごい無駄」と位置づけ、解決策として「理系の素養を文理関係なくもっと普及させるべきだ」と提案しているのに対し、あなたは「十分だから何もせずとも良い」と言ってるわけだ。
特定の商品が一時的に売れたり、特定の人物の発言がありがたがられたりするのってテクノロジー教育でどうにかなる問題とは思えないんだが。具体例を出せば有名大の理系大学院出た人が何人もカルト教団に入って教祖に言われるがまま毒ガスか何か作ってたよね。彼らがインチキ尊師の言うことをありがたがったのは理系の素養が足りなかったからなんだろうかね。個人的にはそうは思えない。
あと現状が不十分だというのも今の教育関係者の努力を軽視してるようなきもする。ゆとり教育やめて週6に戻せば納豆やバナナブームが起きなくなるんだろうかね。詰め込み世代の中高年がみのもんたに振り回されてるんだけどね。
そこまで本腰入れて読む物じゃなかろう。
そういわれれば、専用ビュアーが話題になったことない気がする。
ブラウザでみることを不便に感じない人が多いのだろうか。
ちなみに私はブラウザで見ても大して苦痛を感じません。
ポール・マッカートニーがまた日本に来る(一九九〇年)そうだが、よく来る気になったものだと思う。
ポールはご存知のように大麻所持で前回の来日時、何日間か拘置所入りになったすえ英国へ帰された。
拘置所にはいったことのある友人の話では、日本の拘置所では、大小便をするたびに
看守に報告して便器に水を流してもらわねばならない。小便のときは、「便水!」と叫び、大便のときは、「ロング!」
と叫ぶのだという。そういう話を聞いていたので、拘置所のポールはどうしているのだろうと案じていたら、
新聞に、「ポール、”ベンスイ”と叫ぶ」という記事がのっていた。これには笑った。
ところで、当時の世論というのははなはだあいまいだったように思う。
これが日本人のタレントの大麻事件であればマスコミは飛びついて、「芸能人の甘え」だの
「芸能人の思い上がり」だのとクソミソに叩く。が、相手はそこいらのタレントではなくて、元ビートルズの
ポールマッカートニーなのである。日本人の論理としては、ポール・ファンの女の子の、
「ポール、かわいそう」というものから、せいぜい「日本に来る以上、日本の法律は守るべきだ」くらいの、
はなはだ歯切れの悪いものだった。
しかしはっきり言ってあの事件は、日本という国が世界中に対して露呈した「国の恥」なのである。
あの事件のときにマスコミは世界の趨勢と学術的な根拠に立って、大麻云々を語るべきだった。
事実間題として大麻取締法というのは、高校の校則に「股火鉢を禁ず」
という条文が残っているのと同じくらいのアナクロ法なのである。
我々は小さな頃からマンガや読み物で、
といったような表現を見聞きして育っている。
また日頃の情報の中でも「人間やめますか」といった政府広報に行く先々で接するし、街を歩けば大麻の絵のポスターがあって、
「見つけたらすぐ届けましょう」みたいなことが書いてある。そうした情報が頭の中でゴチャゴチャになって、
こうした情緒的な固定観念を論理でつき崩すのはむずかしい。事実僕も何冊かの資料を読むまでは、そうした観念でもって
大麻を見ていた。ただ僕の場合は「それが悪だから興味がある」といった反応である。
たいていの人の場合は、自分が悪に加担していない、そのおかげで安心する、という自己安全弁のために悪というものを必要とするのだ。ところが、悪の放つ匂いにひかれて大麻のことを調べてみると、これは非常にガッカリする。
大麻というものには、害毒もなければ取り締まるべき理由も何もないのだ。以下にそれらの要点を述べてみる。
資料としては主に第三書館の『マリファナ・ハイ』『マリファナ・ナウ』『ドラッグ内面への旅』
『チョコレートからへロインまで』などのシリーズ及び『麻薬ロードを走る』『FIX』などの反麻薬犯罪の書を並行して読んだ。
まず第一に、大麻というものには一切害毒がない。アメリカの諮問機関が数年にわたる調査の結果、
マリファナに関する大部の報告書を大統領あてに提出している。その他、公的学際的なレポートも多数存在するが、
内臓系統への弊害、精神的なものへの弊害、肉体的精神的依存性など、すべて実験とリサーチによって否定された。
大麻有言説には以上のものも含めて8つの論点があるが、その中で否定派の一番大きな支えになっていたのは
「踏み石理論」と呼ばれる物である。これはつまり大麻に害がないとしても、
この大麻を始めてしまったものはより強い刺激を求めヘロインやコカイン、LSDなどに移行していく、というものだ。
この踏み石理論すらも大統領へのレポートでは完全に否定されてしまったのだ。この「踏み石理論」はたしかに一見説得力がある。
しかし現実の数字はそれを否定している。
それは当然のことなのだ。人間というものは常に強烈な刺激を求めてエスカレートしていくわけではない。
たとえば酒を例に取ってみる。踏み石理論でいくと、一度ビールを飲んだ人間は、
さらに日本酒、ウイスキーー、ウォッカヘとエスカレートしていくはずだ。が、現実にはそんなことは起こらない。
僕などは大酒で肝臓をこわしたほどの酒飲みだが、飲むのはいつも日本酒だった。
ウオッカなら日本酒の三倍のアルコール度があるが、だからウオッカをとはならない。
踏み石理論が通用するのは大多数の中のごく一部の人であって、それすらも原因は「物」ではなくてその人個人の「精神的欠落」にあるのだ。こうして学術的に有言論が否定されてしまうと、アメリカという国は対応が早い。
今、アメリカの州法ではほとんどの州が大麻所持を解禁している。罰則のある州でも、販売目的で大量に所持していた場合で、
それに対する罰も日本でいえば「立ち小便」に相応する扱いのうなものだ。
ヨーロッパでも動向は似たようなものだし、デンマーク、スペインなどは全面的に解禁している。
インドでは数千年にわたる大麻吸飲の習慣があるから、州立のガンジャ・ショップで大麻を売っている。
そんな情勢のもとでポールは逮捕されたのだ。世界中の人が首をかしげて日本を見ているにちがいない
「しかし、法律は法律だ」と言う人がここでたくさん出てくるだろう。ところが、もともと日本には大麻取締法というものはなかったのだ。大麻を吸うということ自体がほとんどなかったわけで、一部の木こりなどの間で「麻酔い」という言葉があった程度だ。
大麻取締法敗戦後GHQの押しつけによって成立したものである。このときもほとんど検計らしきものは何もなされずに立法されている。つまり本家本もとではとっくの昔に悪法となっているものが日本ではいまだに生きている、というこなのだ。
こんなもので検挙されて一生を棒にふる大学生や若者がたくさんいるわけで、その理不尽さの度合いにおいて大麻取締法は
現代の「お犬さま」条令である。歴史の流れを見てくると、理不尽な法令というのは山ほどある。
かつてのヨーロッパではコーヒーが禁止されていた。煙草もそうだった。違反した者は死刑にされた時代もあった。
近いところではアメリカの禁酒法がある。そうしたアナクロを我々は笑うことはできない。大麻を持っていたせいで刑務所に入れられるのも、コーヒーを飲んでギロチンの露と消えるのも本質的には同じこなのだ。
個人を侵犯する悪法は変えていかねばならない。悪法であっても法は法だ、というので守る姿勢というのはわかる。
現に僕自身、をこわすほど酒は飲むが、非合法のドラッグはいっさいやらない。悪法にひっかかるのがくやしいからである。
ただ悪法を変えたいという意志はある。変えるためには「時代の空気」というものが絶対に必要だ。
我々がコーヒーを飲み煙草を吸っているのも、この「時代の空気」が根拠のない法を駆逐してきたからだ。
この空気を作るためにこうしてひとつひとつ誤解を解いていかねばらない。
コーヒーにしろタバコにしろ大麻にしろ、悪法にはひとつの共通した点がある.
それは「国家が法でもって個人の領域にまで踏み込くる」ということである。
これに対しては意外なことに、ジミー・カーターが大統領時代に名言を吐いている。
つまり、ドラッグに対すはの健康の悪化をもって最大のものとする。国がそれ以上の罰を課してはならない、というものだ。
つまり、大酒を飲もうがヘロインを打とうが、国はいっさい手出しをしない。そのかわり、それで体が悪くなったり死んだりしても、
それはあなた個人の罰ですよ、ということだ。これは非常に明快で、卓越した意見である。個人の快楽にも苦痛にも国は介入しない。
ただ、その結果、他人や社会に害をなした場合は、これは法でもって取り締まる。国と個人の関係というのはこうあるのが理想だろう。
ただし、一方では、アメリカという国はいまの状態では「こうとしか言えない」のかもしれない。
この明快な論理はアメリカという病める国が、苦しまぎれに吐いた「きれいごと」なのはないか。
新聞を見ていたら、コロンビアのマフィアがブッシュ大統領の暗殺計画を練っている、という記事が出ていた。
アメリカ側は、威嚇のために軍艦を二隻コロンビアに横づけした。コロンビアという国はアメリカヘのコカインの輸出で成り立っている。このボスを制してコカインのアメリカヘの流出を断とうとしたものだから、国家規模の殺し合いが始まった。
一方では南アメリカ全体は、コカインが生む金で日本の車や電化製品を買っている。この衝突が鎮静しないと、
日本の商社もまた困るのである。ここに先のカーター発言を持ってくれば問題は何とか解決する。
要するに麻薬そのものに関する取締法を一切なくしてしまうのだ。そして正常のルートでコロンビアのコカインをつける。
これをやられると、麻薬を資金源にしている世界中のギャングは、ちょうど禁酒法がなくなったときのような大打撃を受ける。
大半は正常な企業の形態をとって、利潤は減るが普通の「商売」をせざるを得なくなる。
暴力団の力は弱まり、一見すべてはうまくいくかのように見える。だが、子供たちはどうなるのか。
現にいまアメリカやイギリスでは小学生がへロインを打っているのだ。問題はとても複雑でむずかしい。
cmd.exeの標準コマンド貧弱なんで、wshとか使えるといろんなツール作れそうですね。
また、具体的にこういう場面の作業でみたい
「目的の作業をツールつくっている」についても教えていただければ、幸いです。
http://anond.hatelabo.jp/20081116231849
最初は元増田の意見を、まあ人それぞれだしいんじゃない?と思っていたけど、
脇の処理が甘いときとか、補整下着ガッチリ付けてる時に押し倒されるのは本当に困る!
突然デートになったときは、せめてラブホとかでお風呂入ってからにしてほしいわー。
できればキスだけに留めてほしいけど…。
よく、女性はなめると化粧の味がしてイヤだから…とか言う男性いるけど、
それ多分、女性の方がその予定じゃないときに押し倒したんじゃないだろうか?
そういう予定があるときは、産毛剃ったり、ボディクリームを食べても問題ないものに変えたり、いろいろ準備が必要なんですよ。
やっぱり彼氏にいやな思いさせたくないし、気持ちよく自分の姿を見てほしいじゃないですか。
異性に対する感情、例えば「きれいな人だな」とか「かわいい人だな」、「いい人だな」みたいな感情は湧くが、そこから「好きだ」という感情まで辿りつかない。
「きれいな人だな」や「かわいい人だな」から即恋愛感情に飛んでしまうとしたら
そっちのほうがやばくないか?
女慣れしていない非モテ的というか。
納豆だのバナナだのテレビで紹介されるだけで大勢が振り回されたり、怪しい占い師モドキの放言をありがたがったりという事象は現実として発生しているわけで、元増田はこれらを「社会全体からしてみればものすごい無駄」と位置づけ、解決策として「理系の素養を文理関係なくもっと普及させるべきだ」と提案しているのに対し、あなたは「十分だから何もせずとも良い」と言ってるわけだ。
文系理系関係なくこれだけ大勢の人間がテクノロジーに依存している現代社会なのに、それに対して無知な人が多すぎるというのは個人的に非常に危険だと思うし、逆にそれらに理解の深い人達がたくさん増えるというのは社会としても大きな利益に繋がると思う。
当然だが、テクノロジーに限った話ではないのは承知してるよ。しかし全員が専門家並みの知識を身につけろというわけじゃないんだよ。おおよその原理や仕組みが、ある程度正確に想像出来る程度でいい。スーパーやコンビニで並ぶパンが、パン工場で作られてトラックに入れられ、全国各店舗に運ばれているのはみんな知ってるだろ?その程度でいいんだよ。しかしテクノロジーに関しては、その程度の想像すら出来ないまま依存している人が大半だ。本当の「理系離れ」とはそういう現象の事を指すんだと思う。
結局、その「科学的な説明」が与えるインパクトで判断している気がする。
あとは、その説明を語る人間の立ち位置、なんてのも気にしてる。
「商品を売りたい」とか「情操教育をやりたい」ってのがミエミエだったりすると、途端に嘘臭く見えてしまう。
もちろん、上記に当てはまらないパターンも数多くあるし
「科学的かどうかを見分けるのに、非科学的な方法に頼るのはおかしい」という反論も予想できる。
でも、科学リテラシーを持ちえない一般人には、このレベルでしか見分けがつかないように思う。
言うなれば「雰囲気の暗い路地裏には入るな」と同じようなニュアンス、かな?
ここには理系に強い諸氏が多いと思うので、どのようにして判断しているか興味のあるところ。
あれ、わたしがいる。
むしろ処女のほうが処女崇拝をキモがる傾向にあると思われます。
http://anond.hatelabo.jp/20081116232532
「男に気を遣うのは、自分の評判を良くするため」だよ?
あなたの言ってることと、私の言ってることは、違いがないと思うんだけど?
「臭いと思われたくない」と「男に臭さを味あわせない」ってのは、同義だと思うんだけど。
自分のためにすることが、相手のためになるってのが、良い状態じゃない?
こうやって、増田にコメントを書くのは、自分の楽しみのためだけどさ。
このコメントで、誰かが、ホッとしたり考えたりしてくれるって、良い状態だと思うよ。