2007-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20070329192610

その社会的欲求を満たしたいと思うことが損得勘定に内包されるような気がするのですが。

意識として、損得勘定が先行しないということには同意できますが

それはあくまでそのように「見える」ということなのだと思います。

そこまできたのなら答えは簡単で、

社会的欲求の前では、損得勘定という理性は負け、

その後についてくるものである、ということを暗に認めているのと同様。

 

目の前で車にひかれそうなおばあちゃんを救ってきた、過去の多くの

人たちのどれだけが、その車にひかれそうな一瞬に、

損得勘定をめぐらす事ができただろうか。

 

このような、人とかけがえのない関係を持っていたいという社会的欲求は、

人間の三大欲求と同様に他のもので代替するのが難しく、

損得という別のものと交換して考えるのが人間にとって難しい。

そのため損得勘定で考えるのも難しい。

つまり損得勘定人間関係を考える事はできないという論理となる。

 

睡眠は食事で替えられず、食事を睡眠で替えられず、

異性と結ばれ子孫を残すという行為も、睡眠や食事で替えられないのと同様。

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