はてなキーワード: 痰壷とは
はてな系サービスを使い始めてそこそこの時間が経ったので、イメージを書いてみる。
2ch界隈にしかいなかった頃は、2chはゴミためだと指摘されたり自分でも思ったりしつつも、そのぬるま湯が心地好く、余りよいことではないと思いつつもうろついていた。しかし今になって見てみると違う事に気付いた。2chにはクリエイティビティがある。またそこまでの能力が無い人でもテンプレ作成には協力したり、複雑化してきたらWiki化したりと、情報の再利用性を高める努力をする人が一定数居る。はてなと比べると何倍も生産的だ。ニコ動はクリエイティビティの塊+コメントだから触れなくてもいいだろう。それに対してはてダは、はてダが「口だけ」な件という記事があったがまさにその通りだ。
はてブも似たようなものだ。つかはてブってそれ自体が常にネットイナゴ状態で、上にも書いたように基本コメント一覧非表示でいいとおもう。
増田はもう救いようがない。ただでさえ2chと同じような痰壷なのに、改変するわ消去するわ。誰がタンを吐いたか分からないように出来てるだけでなく、その痰を吐いたこと自体を無かったことに出来るとか、完全に終わってる。呑み屋の戯れ言以下だ。
はてブなんかで、口を動かすより手を動かせ的なライフハックの記事に凄まじいブクマが付いてたりする割に、はてなコミュニティは本当に口しか動かしてない。理知的な割に評論しかしない人が多いからその空気に流されてしまうんだよな。こんなところにいたら自分も口しか動かさない人間になってしまう、いやなりかけていた、と思ったのでこれを書いてはてなから距離を置こうと思う。
この記事を自分の日記に書かずにここに書くのは私がヘタレだからだが、最低限、気付かれないように改変したり削除したりすることだけはしない。それが私なりの矜恃だ。
みんな、ちゃんと手を動かそうぜ。はてなだけで群れてたら本気で口だけになるぞ。気をつけろよ。じゃーな。
必要以上のお金はいらない、広すぎる家もいらない、
立派すぎる子供はいらない、でも一人二人ぐらいは欲しい、
実現出来ない夢はいらない、確実な収入源がひとつあればいい、
寄付するなら親とパートナーと友人と子供と、趣味のために使いたい、
成功って、何?それは誰かに価値があると認められること?
成功って、何?それは誰かに一定の基準で評価されること?
風呂はアパートの小さなシャワー付き、自分一人が体を清めるので精一杯の。
キッチンはアパートの小さな流し台、自分一人が食べるものを作るので精一杯の。
井戸端会議?それは何?井戸端なんて自分が生まれたときはなかったよ?
ネットで同好の士と交流するのは井戸端会議?井戸端会議とそうでない語らいの差は何?
100円ショップの食器とそうでない食器の違いはどこ?落としたら割れない食器がそうでない食器?仏の御鉢?
ジャージとそうでない部屋着の違いはどこ?燃やしたら燃えない服がそうでない服?火鼠の皮衣?
たくさんあれば嬉しいのはお金だけ?友達だけ?誰かの評価だけ?
純粋ななにかなんてそんな素敵な物いらない。それが汚物の排泄と引き替えなら。
必要なだけ頭は良くなりたいけど、それ以上偉くなんかなりたくない、立派になんかなりたくない。
今一番欲しいのは誰かをDISることもなく、誰かに腹を立てることもない穏やかな心。
誰かを羨むことも蔑むこともない穏やかな心。毒なんて湧いてこない心。
きれいもきたないも区別しない心。目に見える誰も不幸にしない心。
相手を受け入れる心。違う意見を受け入れる心。ワイドショーを笑って忘れられる心。
たとえ地面に空いた穴であろうと、便所の落書きだろうと、チラシの裏だろうと、痰壷だろうと、
天も地も誰も見ていないところであろうと、自分の負の感情を吐き出すにまかせることがない心。
http://anond.hatelabo.jp/20070228150653
痰壷を一気に呷っておいて「痰が入っている!」とか騒いでどうすんだ兄弟。そんな日記見なければいいだけじゃないの。
ちなみにもうそのネタはCGIベースの日記システム、いや手でしこしこWeb日記が書かれだした10年前から見かける代物だよ。結局日記系・ブログ系をシステムを使って「読み物を書く奴」と「本当にチラ裏な日記メモを書く奴」、更に「チラ裏メモを使って身内と近況を把握しあうぬるま湯コミュニケーションツールとして使う奴」に、もう随分前から分化してんだから。mixi疲れって書いてあるけど、全然mixi固有の話でもmixiによって出てきた話でもあるまいに。
書き手は読み手に対して出来る限りコミュニケートしようという努力と意識を保つべきだ
君が書き手の想定している読み手ではないというだけのことかもよ。意図してる読み手にはそれで十分とか。mixiに話を返すなら、その日記がマイミク2hop限定とかなら「君が想定外の読者」ってだけの可能性もあるし。
ま、そんな「私の存在を見て的な」モノを公共の閲覧にも供してるとすれば、その神経は俺も理解はできないんだけどね。ただその場合も、単に読まないという選択肢を選べばいいだけのこと。かつ、相手を自分の中で「リテラシの無い奴か、単に自意識の足りない子供のどっちか」に分類して見下げとけばいいよ。「貴様は努力と意識を保つべきだ!」とか、多分血圧の無駄遣いだ、兄弟。
「何があったのか詳しくはいえないけど、ボクは今気持ちが落ち込んだりしている or ああ大変だ、苦労だらけだ」的な日記を書く男がマイミクにいるのだが、状況がいえないならそもそも書くなよ、と思う。辛いなら何が辛いのか、大変なら何が大変なのか、そういう場では、書く義務とまでは言わないが、出来る限り書くのがマナーではないかと思う。もしそれが説明を欠かざるを得ないのなら、書くべきではないと思う。
mixiでもブログでも、それが例え「日記」という名前であっても、プライベートモードになっていない限り他者に向けて発信されているものなのだから、他者に読んでもらうという意識は常にどこかにあるべきなのではないか。読者は書き手の愚痴や泣き言の痰壷ではない。具体的記述無しに垂れ流される感情だけを押し付けられることは不愉快である。それを読む読者がいる以上、いや、どちらかというと、それが「読ませている日記」である以上、書き手は読み手に対して出来る限りコミュニケートしようという努力と意識を保つべきだ。それを欠いていることは、言葉に関わる何か大切なことを軽視している行為のように、私には思えてしまうのである。恋人同士のメールなどであればそれでもいいかもしれない。ただ、不特定ではないとしても、ある程度の多数に向けて書くのであれば、単なる「私の存在を見て」的な意味しか持たない、幼児の我が侭のようなことしかできないのは、どうかと思う。
もちろん以上のことは、読み手側が「読んでやる」という態度を取ることを勧める意味では決してない。それはまた別の問題である。
もしこのエントリ自体がそうじゃないか、言っていることとやっていることが矛盾しているじゃないか、と思われたら、それは申し訳ない。