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はてなキーワード: 劉表とは

2023-08-17

anond:20230817121834

なお、その時の劉備劉表の客将として一城の主だった模様

2022-03-04

英語で読む中国史漢字じゃないだけでクッソ蛮族に見える

感覚を味わってもらうために固有名詞だけ置き換えてみる

208年、曹操が南征を開始すると、荊州劉表は死去した。荊州では劉表後継者争いが起こっており、長男の劉琦を支持する側と、次男の劉琮を支持する側に分かれていが、優勢であった劉琮が荊州牧に就いた。荊州では曹操軍が到来したと知ると、劉琮は王粲の勧めもあり曹操に帰順した。曹操は新野の劉備を攻めようとした。しかし、劉備はいち早く撤退したので曹操は軽騎をもって追撃し、当陽県の長坂でこれを大いに撃破した。だが、劉備軍の被害はいたって少なく、彼らは江東孫権同盟して曹操軍と対峙するに至った。周瑜は部将黄蓋の進言を採用して、佯降を偽装して接近に成功した黄蓋が、曹操軍の船団に火を放つと忽ち燃え広がり。曹操軍を火計で破った(赤壁の戦い)。周瑜劉備と再度合流して追走すると、曹操曹仁徐晃江陵守備に、楽進を襄陽の守備に残し、自らは北方撤退した(「呉主伝」)。

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208年、 Cao Cao が南征を開始すると、 Jingzhou の Liu Biao は死去した。 Jingzhou では Liu Biao の後継者争いが起こっており、長男の Liu Qi を支持する側と、次男の Liu Cong を支持する側に分かれていが、優勢であった Liu Cong が Jingzhou 牧に就いた。 Jingzhou では Cao Cao 軍が到来したと知ると、 Liu Cong は Wang Can の勧めもあり Cao Cao に帰順した。 Cao Cao は Xinye の Liu Bei を攻めようとした。しかし、 Liu Bei 軍はいち早く撤退したので Cao Cao は軽騎をもって追撃し、 Dangyang 県の Changban でこれを大いに撃破した。だが、 Liu Bei 軍の被害はいたって少なく、彼らは Jiangdong の Sun Quan と同盟して Cao Cao 軍と対峙するに至った。 Zhou Yu は部将 Huang Gai の進言を採用して、佯降を偽装して接近に成功した Huang Gai が、 Cao Cao 軍の船団に火を放つと忽ち燃え広がり。 Cao Cao 軍を火計で破った( Battle of Red Cliffs )。 Zhou Yu が Liu Bei と再度合流して追走すると、 Cao CaoCao Ren と Xu Huang を Jiangling の守備に、 Yue Jin を Xiangyang の守備に残し、自らは北方撤退した(「 Biography of the Lord of Wu 」)。

目が泳ぐ。覚えられる気がしない

2015-02-23

孫権という三国時代英雄について

歴史関係三国志話題に昇った時、非常に地味だったという記憶がある。

何故なら、呉といえば大事な戦が孔明の引き立て役となった赤壁周瑜が頑張った荊州南郡呂蒙が頑張った樊城、陸遜が頑張った夷陵、孫権大敗した合肥

数えるほどしかなくて、その中でも孫権自身が直接赴いた戦争合肥くらいで、

その上、張遼に始まって満寵や曹休(石亭でのやり返しは陸遜周魴による)、王凌などにボコられて負けたくらいのエピソードしか持たない

戦争に行けば必ず負ける郭図のような人物だったらしい。

そのため、甘露寺での劉備との同盟といった正に英雄と呼べる場面もあるのに

張昭の家を放火したり陸遜根拠なく憤死させたり二宮の変での優柔不断さが原因で呉の滅亡を早めたりと

無能エピソードがちらほら伺えてしまって、

対する曹操徐州虐殺劉備長坂で妻子を捨てて逃げた事なんかよりもずっとクズだし、

何よりも孫権は上二人の英雄に比べて戦争に強いイメージがなければ、政治家として優れてたかすら疑問だ。

何せ、これまで暗愚扱いされてきた劉禅宦官政治朝廷が腐敗したとしても少なくとも40年は国を維持してきたとして

良君として再評価されつつあるのに対して、

孫権二宮の変晩年後継者選び等の老害ぶりを発揮したおかげで若い時の事績が霞む程の暗君ぶりや兄孫策の偉業を評価せず

皇帝即位後、父は皇号だったのに兄には王号しか与えなかった事から孫権自身人間性を物語るのに十分だ。

そのため、彼に関して三国時代の三人の名君の一人に挙げられるとこれまで評価されてきたが、筆者はそれには否としたい。

偶然三国時代に入ったため、たまたま呉国君主だった孫権英雄扱いされてしまっただけだろう。

若い時は呂蒙や蒋欽に勉学を勧めたり劉表から亡命してきた甘寧を受け入れたりと正に英雄と呼ぶに相応しかったが

それ以上に短所が悪目立ちしてしまったのが残念で仕方ない。

 
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