2022-09-21

「水は低きに流れる」は本当に誤用されているのだろうか?

「水は低きに流れる」はもともと「そうなることが自然であり止めることはできない」というふうに肯定的に使われる言葉である

から「水は低きに流れる」を「人はすぐに堕落してしまう」といったような意味で使うのは誤用である

という説がある。

このことわざは、孟子の「水之就下」という言葉が出典とされる。

孟子はこの言い回しが大好きだったらしく、いろんなところで使っている。

孟子 梁恵王上』

誠如是也,民歸之,由水之就下,沛然誰能御之?

本当にこのとおりならば、民がこれに付き従うのは水が低きに流れて激流となるようなもので、いったい誰が止められるだろうか。

孟子 離婁上』

民之歸仁也,猶水之就下,獸之走壙也。

民衆が仁者に付き従うのは、水が低きに流れ、獣が野を走るようなものである

孟子 告子上』

人性之善也,猶水之就下也。

人の本性が善であることは、水が低きに流れるのと同じである

いずれの「水之就下」も、その意味するところは「そうなることが自然であり止めることはできない」であり、

なるほど、これをネガティブ意味として捉えるのは誤用であろう。

しか辞書を引いてみると、「水は低きに流れる」という項目は立てられていない。

辞書掲載され、「孟子」が出典であるとされているのは、「水の低きに就くが如し」である

これはちょっとばかり言い回しが変わっただけ、なのだろうか?

水の低きに就くがごとしとは - コトバンク

また一方で「水は低きに流れ、人は易きに就く」という形で使われることも多い。

「水が低いところに流れるように、人も安易なほうに流されてしまう」といったような意味合いであり、

この場合の「水は低きに流れる」はネガティブ意味で使われているはずだ。

これは誤用なのだろうか?

「人は易きに就く」とはどこから出てきたフレーズなのだろうか?

結論から言えば、おそらく「人は易きに就く」は中国の成語「避難就易=難きを避け易きに就く」から来ているのだろう。

まり、この言葉本来「水は低きに流れる」とワンセットで使われるようなものではなかったのである

避难就易(中国語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 中日辞典

「水は低きに流れ、人は〜」という言い回しについては別のバリエーションがある。

たとえば田中角栄日本列島改造論』の冒頭で印象的に使われている「水は低きに流れ、人は高きに集まる」である

この言葉は、人々が地方から出て東京へと集まることを述べたものであるが、実はこれも中国の成語に元ネタがある。

「人往高処走 水往低処走」である

人往高处走,水往低处流の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典

直訳すると「人は高いところへ走り、水は低いところへ走る」、

人はよりよい場所を求めるものだ、高い目標を目指すものだ、といった意味であり、

向上心を持たない人間を激励するときに使われることが多いらしい。

まり、そこには「水のように低きに流れてはいけない」といった含意がある。

整理しよう。

  • 水之就下(水の低きに就くがごとし)
  • 人往高処走 水往低処走(人は高きを目指し、水は低きに流れる
  • 避難就易(難きを避け、易きに就く)

などといった成語から、時を経て混同されたのか、あるいはアレンジされたのか、

いずれにせよ「水は低きに流れる(人は易きに就く)」という言い回しが生まれた。

あるいは「水之就下」を語源とする「水は低きに流れる」と、

「水往低処走」を語源とする「水は低きに流れる」の二種類がある、

と考えたほうがいいかもしれない。

そして「水之就下」の場合であればネガティブ意味で捉えるのは誤用と言えるかもしれないが、

「水往低処流」の場合であれば必ずしも誤用とは言い切れないのである

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